きょうこの頃



2022年5月21日(土)

 『黄金の少年、エメラルドの少女』読了。
 短編集。

 ブログ参照



「優しさ」5月9日

「彼みたいな男」

「獄」2022年 5月14日(土) 06:53:03読了。

「女店主」2022年 5月15日(日) 11:11:22読了。

「火宅」2022年 5月18日(水) 01:04:58読了。

「花園路3号」2022年 5月18日(水) 09:23:31読了。

「流れゆくとき」2022年 5月21日(土) 06:26:05読了。

「記念」2022年 5月21日(土) 06:30:40読了。

「黄金の少年、エメラルドの少女」2022年 5月21日(土) 06:41:53読了。
中国では理想的なカップルを「金童玉女」という

「訳者あとがき」
ウィリアム・トレヴァー



謝辞

いつもながら、次の方々に深く感謝いたします。
実によく仕事の面倒を見てくださるセーラ・チャルファンとジン・オウ。
ずっと応援してくださるケイト・メディナとニコラス・ピアソン。
小説のことで何度も有意義な話し合いをしてくださるクレシダ・レイション。
懲りずに友達でいてくれるエイミー・リーチとアヴィヤ・クシュナー。
愛情をくれる大鵬(ダ ボン)とヴィンセントとジェームズ。
寛大に優しく接してくださるウィリアム・トレヴァー氏。



訳者あとがき

 本書はイーユン・リーによって英語で書かれ、二〇一〇年九月にアメリカで刊行された短篇集『Gold Boy, Emerald Girl 』の全訳である。
 本書には、二〇〇五年から一〇年の間に文芸誌等で発表された九篇の作品が収められている。原書は発売とともに話題となって多くの媒体で取り上げられたほか、二〇一〇年のストーリー賞(The Story Prize)と二〇=年のフランク・オコナー国際短篇賞の最終候補になった。また本書所収の「彼みたいな男」が『ベスト・アメリカン・ショートストーリーズニ○〇九』に採用され、「獄」が二〇〇八年の0・ヘンリー賞を、また「優しさ」が二〇一二年の同賞を受賞した。実は0・ヘンリー賞は一度に二十作品の短篇に与えられる。ただし三名の選考委員がその中で各人にとってのベスト作品(ジュラi・フェイバリット)を一篇ずつ挙げることになっている。「優しさ」は、同時に二名の選考委員からフェイバリットに挙げられた。
 本書に収められた作品の大半は、大きな転換期を迎えて変貌著しい現代中国を舞台にしている。登場人物が時代や場に束縛されている感のあった前作の短篇集と違い、本作では人々がむしろ拠りどころを失い、孤独を深め、過去を懐かしんですらいるようだ。そうして明かされる過去の記憶は、過ぎていく現在と溶け合うように綴られ、たとえ忌まわしい記憶であっても美しさを感じさせる。同時に、未来にじっと目をこらせば必ずなんらかの灯が見え、読後感が優しい。
 まず、初めてイーユン・リーを知る読者のために、プロフィールを簡単にご紹介しておきたい。
リーは一九七二年、北京で研究者の父親と教師の母親のもとに生まれた。核開発の研究所に併設された団地の一室で両親と祖父と姉に囲まれて成長し、生物学を学ぶために北京大学に入学した。
ただし前年に天安門事件が起きたことから、新入生は思想教育のためにいきなり一年間の軍事訓練を受けさせられた。そのような経緯もあって早くからアメリカ留学を目指し、卒業後の一九九六年には実現して渡米。アイオワ大学の免疫学の修士課程に進んだ。修了後は博士課程に進んだが、そのいっぽうで詩や小説を英語で綴るようになり、やがては進路を変更し、同大学の創作科の修士課程に編入した。
 そして在学中から作品を評価され、二〇〇五年に短篇集『千年の祈り』を刊行。フランク・オコナー国際短篇賞、PEN/ヘミングウェイ賞、ガーディアン新人賞などを受賞した。表題作である「千年の祈り」と「ネブラスカの姫君」の二篇はウェイン・ワン監督によって映画化され、リーが脚本を担当した『千年の祈り』はサン・セバスティアン国際映画祭でグランプリを受賞した。二〇〇七年には文芸誌『グランタ』で、アメリカでもつとも優れた若手作家の一人に選ばれている。
 続いて二〇〇九年に初の長編『さすらう者たち』を発表。臓器を抜かれてから処刑された政治犯の女性を巡り、あらゆる人々の人生が巻きこまれていく悲劇を、中国で実際にあった事件をもとに繊細な筆致で書いた。この作品は話題を呼んで多数の言語に翻訳されたうえ、二〇一一年の国際IMPACダブリン文学蕩暴鵜筰豸掩そして二〇一〇年六月、『ニテ早力山誌上で注目の若手作家二十人(「四十歳以下の二十人」)の一人にリーが選ばれ、同年秋には「天才賞」と呼ばれるマッカーサー・フェローシップの対象者に選ばれることにもなった。
 現在は、カリフォルニア州オークランドで夫と二人の息子とともに暮らしながら、小説の執筆と文芸誌『ア・パブリック・スペース』の編集を続けるいっぽう、カリフォルニア大学デービス校で創作を教えている。最近は活躍の幅をさらに広げ、二〇=年の全米図書賞や二〇一〇年の0・ヘンリー賞の選考委員を務めた。二〇=二年には、二年ごとに発表される国際ブッカー賞の選考委員を務めることになっている。
 ところで、巻頭の献辞で名前を挙げられているブリジッド・ヒューズは、リーの小説を初めて世に出した編集者である。ヒューズは三十一歳で文芸誌『パリス・レビュー』の編集長になることが決まった人で、その後独立して二〇〇六年に文芸誌『ア・パブリック・スペース』を創刊したのだが、彼女がまだ『パリス・レビュー』にいた二〇〇三年の秋、リーが初めて書き上げた短篇「不滅」(『千年の祈り』所収)を掲載した。それまでエッセイが出版物に掲載されることはあったが、小説はこれが初めてだった。
 リーはアイオワ大学の創作科にいた頃から優れた才能を認められてはいたものの、それだけでは出版につながらなかった。リー自身が原稿をあちこちの文芸誌に送り、それを読んだヒューズが才能を見抜いて出版が決まったのである。それまでの二年ほどは、「不滅」をどこに送っても断りの手紙が返ってきたという。『パリス・レビュー』の編集部には年間で軽く一万を超える原稿が送られてくるとのことなので、まったくの新人の作品が掲載されるのは、もちろん非常に珍しいことである。当然ながらリーはヒューズを編集者として深く信頼しており、ヒューズが創刊した文芸誌の編集にも誘われて参加するようになった。
 そんな二人は、ときどきトークショーをおこなう。さすが作家のインタビュー記事のシリーズで有名な『パリス・レビュー』出身とあって、ヒューズは話を引き出すのが上手だ。そこで、二〇一一年九月におこなわれた本書に関するインタビューをご紹介しよう。

 ヒューズ まず初めに、影響を受けた作家のことを教えてくれますか。謝辞でウィリアム・トレヴァーの名を挙げていますね。それに文芸誌『ティン・ハウス[二〇〇七年冬号]』に寄せたエッセイの中で、あなたの作品はトレヴァーの影響を受けていると書いていました。あなたにとって重要なのは、どんな作家や本ですか。
 リー 物語を書いたら、その物語が外へ出かけていって他の物語と語り合うというふうに考えたいんです。私の物語が世に出て自立するための場をウィリアム・トレヴァーの物語が作ってくれたので、私の物語はたえずトレヴァーの物語と語り合っています。たとえば表題作「黄金の少年、エメラルドの少女」は、彼の「三人Three People未邦訳[The Hill Bachelors]」という物語と語り合うように書きました。
 もちろん人間と同じで、物語は親しみを感じる相手とだけ心地よくつき合っているわけにはいきません。他の物語と議論したり、ときには論争したりしたいのです。私が執筆するときに常に念頭に置いている作家は、次のような数少ない人たちです。エリザベス・ボウエン、グレアム・グリーン、ジョン・マクガハン、」・M・クッツェー。この人たちもそれぞれの形で私に影響を与えているんです。
ヒューズ「黄金の少年、エメラルドの少女」と「三人」が、具体的にどんなことについて語り合っているのか教えてくれませんか。
 リー 「三人」は、題名からわかるとおり三人の人たちの話です。老いた父親、彼の中年でまだ独身の娘、それからこの親子と親しい男性です。父親は、この男性が娘に結婚を申しこんでくれることを願っています。そうすれば死後、娘が一人にならずに済むからです。でも父親は知らないーあまり筋を明かしたくないんですが娘と男性だけが知っている隠れた秘密があります。
 それで物語は最後、こんなふうに終わります。〈照らし出される二人の秘密の闇、互いを哀れむうちにどちらも捕らわれそうになった愛。そういうもので、無人になった上階の部屋はおろか、家の隅々まで満たされるのかもしれない。でもヴェラにはわかっている。父親がいなくなれば、互いに相手に怯えるようになるのを〉
 「黄金の少年、エメラルドの少女」にとりかかるとき、私も三人の人間の話を書こうと思いましたー老いた母親と彼女の成人の息子と女性ですー息子と女性は、「三人」の男女に負けないほどちぐはぐなカップルです。物語を似た雰囲気にしたんですが、終わりのほうまで書いたら「三人」という物語の陰鬱さや宿命観に打ちのめされてしまって、最後の一行を書くときは、同じ語り口にしながらも多少優しさを加えたのを覚えています。〈三人とも、孤独で悲しい人間だ。しかも、互いの悲しみを癒せはしないだろう。でも孤独を包みこむ世界を、丹精こめて作っていくことはできるのだ〉
 ヒューズ 新作の登場入物は最初の短篇集『千年の祈り』の登場人物よりも孤独、というより孤立しているように思いませんか。「不滅」の書き出しが思い出されます〈わたしたち誰もがそうであるように、彼の物語もまた、誕生のはるか以前に始まった〉歴史や共同体など、自分より大きなものの一部だという感覚が、新作ではかなり減った感じがします。二つの短篇集の違いには気づいていますか。

かなわけでも、風変わりなわけでもありません。また、読者に相手にされないほど軽薄なわけでも、真実に対して弱腰なわけでもないといいですね。読者は、私の本と対話をすることができると思うんです1公平に、そして正直に、登場人物たちに同意したりしなかったりすることができるんです。

 このインタビューからもおわかりのように、リーの小説はウィリアム・トレヴァーに大きな影響を受けており、中でも「黄金の少年、エメラルドの少女」は彼の特定の短篇と語り合っているという。彼女のトレヴァーに対する敬愛は強く、インタビューにも出てきた『ティン・ハウス』のエッセイには、「作家になりたいとわかったのはいつかと訊かれたら、答えは二〇〇二年の冬、三十歳になり、ウィリアム・トレヴァーを発見したときだ」とまで書いている。
なぜそれほどトレヴァーに影響を受けたのか、リーは別のインタビューでこう語っていた。「人は他者のことを想像できなくてはいけません。作家だけではありません。読者にとって、すべての人間にとって、他者を想像できることは重要です。……[トレヴァ…は]世の中の人々を想像します。とても情け深い想像力を持っているのですが、そんな人はごくまれにしかいません」このことは、かつて彼女が述べた、人のことを想像し理解するために書く、という主旨の発言と符合する。
 さらに、彼女はこう語っている。「彼は書いて何かを訴えているわけではありません。観察者なのです。……ただ人間にとても興味があるだけです。私も同じように興味があり、同じように人間性の持つ謎に関心があります。だからこそ小説を書くのです」
 教師でもあるリーは、創作を学ぶ学生たちにも、たくさんの小説を読んで自分の作品が語りかける作家を一人見つけるようにアドバイスしているそうだ。リーの場合はそれがトレヴァーなのだ。
 では表題作「黄金の少年、エメラルドの少女」が語り合っているという「三人」とはどんな作品なのか。あまり筋を明かしたくないのは確かだが、邦訳がない以上、もっと内容説明が必要だろう。
 老いた父親と四十一歳の女性ヴェラが二人で暮らす家に、三十四歳の知人男性シドニーが頻繁に訪れる。ヴェラは子供の頃に母親を亡くし、それ以来、身障者の妹モナの面倒を見ていたが、二十七歳のとき、留守の問に何者かが家に強盗に入り、モナを殺してしまった。そのとき父親は仕事に出ていて、ヴェラは映画を鑑賞していたというのだが、映画館で彼女の姿を見かけた者は誰もいなかったので、一度はヴェラが身柄を拘束された。新聞に載った彼女の写真に心惹かれたシドニーは、自ら名乗り出て映画館で隣にいたと虚偽の証言をした。こうしてヴェラは疑い晴れて自由の身になったが、妹を一人置いて映画館で初対面の男といちゃついていたことが知られたので、もう結婚相手は見つからなかった。秘密を知らない父親は、自分が死んでからヴェラが一人にならないように、シドニーとヴェラが結婚すればいいと望んでいたがー。
 表面的にはなんの変哲もない家庭だが、その裏には背筋が寒くなるような秘密が隠されている。
一人一人が過去を回想し、その中で少しずつ秘密が明かされていく流れが似ているだけでなく、真実を口に出さないことで支えられている三人の関係と彼らの間の距離感、そして家庭に流れる空気などが「黄金の少年、エメラルドの少女」と共通しているように感じられる。
さらに、リーが別の機会に述べていたことだが、同様に巻頭の「優しさ」も、トレヴァーの『Nights at the Alexandra』(『アレクサンドラ館の夜』未邦訳)へのオマージュとして書いたという。リーによれば、一人称で語るときは誰に向かって語っているのかわかっていなければならない。つまり、聞き手のことを知らなければ語れない。だから一人称で語るのは難しいのだが、「優しさ」の場合は、リーの頭の中で語り手の末言(モ ヤン)がトレヴァーの作品の語り手ハリーに向かって語りかけているのだそうだ。実際に末言(モ ヤン)とハリーが会話するわけではないが、ハリーという一人に語りかけることで結果的に多数に語りかけることになればいいというわけだ。そうやって「トレヴァーの音楽」、つまり彼の作品世界を表現しようとしているのだという。
実際、両方を読み比べてみると、家庭を持たず孤独に生きる語り手の人物像や、語り手が過去を回想する形式や、始めと終わりの語り口などがよく呼応している。例としていちばんわかりやすいのは書き出しだろう。
 「優しさ」の書き出しはこうだ。「私は四十一歳の一人暮らしの女だ。北京のはずれにある廃屋アパートのワンルームにずっと住んでいて、それが政府系の土地開発業者に取り壊されそうになっている。(I am a forty-one-year-old woman living by myself, in the same one-bedroom flat where I have always lived, in a derelict building on the outskirts of Beijing that is threatened to be demolished by government-backed real estate developers.)」。いっぽう、トレヴァーのほうは「私は五十八歳の田舎者だ。子供はいない。結婚したことはない。「("I am a fifty-eight-year-old provincial. I have no children. I have never married.")」で始まる。もちろん筋はかなり異なる。この作品も内容を途中までご紹介しよう。
 五十八歳の「私」は、アイルランドの材木屋の息子ハリー。私がまだ少年だった戦時中、ドイツ人の年配の男メッシンガー氏と若い妻でイギリス人のアレクサンドラが、戦争を避けてドイッから近所の家に移り住んできた。私はアレクサンドラにしばしば招かれて話をし、彼女に惹かれていった。資産家のメッシンガー氏は、妻へのプレゼントとして彼女の名前を冠した映画館を建設する計画を立て、完成したあかつきには卒業後の私に映画館の仕事をくれると約束した。両親は私に材木屋を継がせようと思っていただけでなく、メッシンガー夫妻をユダヤ人だと信じていたので反対したが、私は映画館の仕事を選んだ。戦時中なので建設に時間を要したものの、完成した映画館は華やかで美しかった。そんな中、アレクサンドラは体を病んでいくー。
 読後に深く切ない余韻が残る、静かな中篇だ。普通の感覚とは異なる幸福のあり方を求めるハリー、そして末言(モ ヤン)。二つの作品を読むと、二人の主人公の孤独が二重写しのように重なって見えてくる。このように、響き合う二つの作品を比較しながら読むのも、一つの読み方としておもしろいのではないか。
 北京大学入学後に軍に入隊したリーの経歴を知ったうえで「優しさ」を読むと、つい末言(モ ヤン)とリーの姿を重ねてしまうが、たとえ一人称で語られていても人物像はトレヴァーの作品からヒントを得たものであり、主人公の人格は著者本人とは異なる。といっても、小説の肉付けに実体験がかなり生かされているのは間違いない。すでにお気づきだと思うが、まったく戦闘に関心がなさそうな末言(モ ヤン)が軍に入隊することになった経緯は、おそらく著者と重なるだろう。志願したのではなく、強制されたのだ。リーが信陽市の軍の訓練場に着いたのは一九九一年の秋。このときディケンズやハーディやロレンスの小説を持っていき、夜こっそり読んでいたというから、軍の体験と彼らの小説の世界は彼女の記憶の中でしっかり結びついているのかもしれない。彼女はそこで一年間、お腹を空かせながら軍事訓練をおこない、氷の張った洗面器で顔を洗い、大別山を行軍した。
書籍化されてはいないものの、リーはエッセイも多数発表しており、読むと七〇年代から九〇年代にかけての彼女の体験や中国の家庭生活の様子が伝わってきて大変興味深い。それらを読んでから本書を読むと、重なる部分をいくつも発見できる。少なくとも小説の肉付けはかなりの部分の材料を実体験から得ているようだ。
 「彼みたいな男」に出てくる「マルクスの弁証法的唯物論協会」もその一つ。これはリーの父親が核開発の研究所を辞めた後で勤めた研究所の名前に酷似している。リーの父親は核開発の研究所を、リーが八歳か九歳だった八一年に辞めている。核兵器が嫌いだったからだ。ただし辞めてからも研究所併設の団地の一室を賃貸し続けてよいことになり、一家はそのまま動かず、いまなお両親はそこに住んでいるそうだ。六階建ての建物の一階にあるその部屋の裏手には庭があり、それを囲む塀の向こうには豚小屋があったというから、リーが窓から見た風景は「花園路三号」の窓から見える風景と似ていたのかもしれない。
 リーはエッセイに、子供の頃に住んでいたその故郷のありさまを詳しく記している。団地の部屋には四畳半ほどの寝室が二つあり、その一つを姉と母方の祖父と三人で使っていた。両親が共働きで平日は家におらず、いつもそばにいたのは祖父だった事情もあり、彼女のエッセイには戦争や大飢饉を乗り越えた個性の強い祖父がしばしば登場する。戦争前は上海の出版社で編集者をしていたという彼に昔ながらの教えを聞かされたり、唐詩を暗唱させられたりした。また、祖父の書棚からこっそり本を出して開いてみると古い写真が出てきて、語られない過去の歴史があることを密かに知ったりもした。つまり、リーは寝室を共有していたというより、祖父の書斎で育ったと言っていい。年配の人物の描写を得意とするのは、こんな背景によるのだろうか。
ほかにも、リーが暮らしていた団地にはあらゆる年代のあらゆる個性の持ち主が住んでいた。現代の 日本では隣に誰が住んでいるのか知らなかったり、病む人や狂気の人を壁の向こうに隠してしまうことが往々にしてあるが、リーが住んでいた世界では、恍惚の老婆が普通に廊下をうろついて他人の物を壊していても、会えばその人にきちんと挨拶をしていたし、週末しか開かない共同風呂に住民がいっせいに集い、全員が裸の付き合いをしていた。リーの描く人間像が遠い国の私たちにも共感でき、ときに懐かしく感じられるのは、一つにはそうした幼少時の環境が何か普遍的なものを湛えていたからではないだろうか。特に印象的なのは、子供時代のほとんどを配給の長い行列に並んで過ごしたという「優しさ」の回想部分だ。リーのエッセイには、子供の頃に卵や砂糖や石けんやマッチなどありとあらゆるものの配給を受けるために、何時間も列に並ばされたという話がよく出てくる。そうやって並んでいる間、近所の大人同士の噂話をしっかり盗み聞きしていたそうだ。
そういえば「流れゆく時」の悲しい友情についてだが、インタビューにも出てきたトレヴァーに関するエッセイの中に興味深い記述があった。リーが子供の頃、父親の同僚の娘が別の同僚の息子に殺された。裁判の際、殺された少女の父親はいっさい情けをかけず、その結果、犯人の少年は処刑された。そして子供を失った二人の同僚は、核開発という国家的事業に携わっていたがゆえに、その後二十年間、同じ職場で仕事せざるをえなかったというのだ。この話は家族から聞いたのだろうか。それとも行列で「盗み聞き」したのだろうか。
 リーは別のインタビューで、新聞記事からヒントを得て書くことも多いと述べていた。新聞は一面より三面の記事のほうがおもしろいのだとか。たとえば「彼みたいな男」や「火宅」や「女店主」は、新聞記事からヒントを得て書いた作品だそうだ。父親を告訴した若い女性の記事を新聞で読み、その裁判を数ヶ月にわたって追いかけたところ、違う理由だが同じように裁判に関心を持つ人物を思いつき、「彼みたいな男」を書くことに決めたという。また「女店主」は、死刑判決を受けた夫の子を作りたいと申し出た女性の話を新聞で読み、その女性のことを理解したくて物語を書き始めたものの、途中で方向が変わり、結局その女性は脇役になってしまった。

「彼みたいな男」(AManLikeHim)二〇〇八年五月『ニューヨーカー』(New Yorker)
「獄」(Prison)二〇〇六年六月『ティン・ハウス』(Tin house)
「女店主」(The Proprietress)二〇〇五年九月『ゾエトロープ・オールストーリー』(Zoetrope:All-Story)
「火宅」(House Fire)二〇〇七年四月『グランタ』(Granta)
「花園路三号」(Number Three, Garden Road) 二〇〇九年九月『ウェイビング・アット・ザ・ガーデナー』(Waving at the Gardener)
「流れゆく時」(Sweeping Past)二〇〇七年八月『ガーディアン』(The Guardian)
「記念」(Souvenir)二〇〇六年七月『サンフランシスコ・クロニクル』(San Francisco Chronicle)「黄金の少年、エメラルドの少女」(Gold Boy, Emerald Girl)二〇〇八年一〇月『ニューヨーカー』(New Yorker)

本書の人物名にあてられた漢字は、すべて著者本人の指定によるものである。なお、表題は「黄金の少年、エメラルドの少女」となっているが、原題の「Gold Boy, Emerald Girl」は中国語の「金


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