きょうこの頃



2021年10月24日(日)

 オクタビオ・パス『太陽の石』読了。
 ブログ参照
 http://kohkaz.cocolog-nifty.com/monoyomi/2021/10/post-1751a9.html

「第二次世界大戦後、ラテンアメリカの人たちは再び日本文学に関心を寄せるようになった。その証拠にわれわれの『奥の細道』、それに雑誌『Sur』の日本近代文学特集号およびKazuya Sakaiの翻訳がある。彼は孤高の、しかし百人力の翻訳家である。」
 その関心について、パスはこう語る。「日本は単なる芸術的、文化的好奇心の対象ではなくなっている。より良いとか悪いということではなく、われわれとは異なる世界観なのである(あった?)。つまり、鏡ではなく、人間について別なイメージ、別な存在の可能性を見せてくれる窓なのである」。
 この短文以上に、日本文学を読む理由を教えてくれるものを私は知らない。日本文化は鏡ではなく、異なる世界への窓であり、その世界は我々の西洋世界より良いとも悪いともいうものではない、とパスは述べる。この別世界を知ることは喜びであり、心を豊かにする。個人的な話だが、満八十歳を迎え、日本文学に六十年の歳月を捧げたことを私は後悔していない。
(83頁)

た事案に対応するメキシコ外務省の主管局は国際機関局でした。その局長代行を務めることになった一人の若い外交官、それがオクタビオ・パスだったのです。彼は日本でメキシコ大使館の開設を行って、数ケ月臨時代理大使を務めたのちに帰国し、一九五四年以降この職務に就いていました。パスは日本に深い親近感を抱き、その文化に特別な関心を抱いていました。そして日本が直面する社会的、政治的問題をも熟知していました。私は彼を知るにつれ、ますます彼の東洋文化に関する造詣の深さに感心するようになりました。面会を繰り返すうちに、パスは私にユネスコから送って来た浮世絵巡回展を国立芸術院で開催しようと提案し、さらにこの展覧会期間中に連続講演会を開き、自分もその一つを担当しようということでした。その提案に私たちは心から賛同し、その実現に向けて全力を尽くしました。一九五四年の七月に展覧会と同時に三つの講演会が催され、その最初が「日本文学の諸相」と題するパスの講演でした。展覧会も講演会も、一般の人たちに強い関心を呼び、国立芸術院の「マヌエル・M・ポンセ」ホールは満員になりました。
 なかでもパスの講演は好評を博しました。それはパスの日本文化に関する深い知識と日本文学に対する高い評価を示すものでした。いまでも私の記憶に残っているのは、外国文化が日本に及ぼした影響、とくに中国文化が日本に与えた影響にパスが触れた際のことです。その影響は常に「(日本が)選び取ったもので、被ったわけではなかった」ことを彼が実に明解に語ったことでした。さらにパスが仏教禅の概念やそれが日本文化に及ぼした影響を語った説明の明解さに覚えた大きな驚きを忘れられません。この講演はそれを聞いた者にとっては間違いなく、一つの啓示となりました。私にとっては深い敬意とともにパスへの友情を深める機会となりました。
 いつ頃からなのか正確には憶えていませんが、深い感性を持って日本文化を鋭く観察するこの文学者と一緒に、日本文学の何か代表的な作品を訳してみたいという気持ちが私のなかで生まれました。しかしパスが『奥の細道』をスペイン語に訳そうと提案してきた時、私は少し躊躇しました。芭蕉が残したこの作品の意味を、特に繊細で、暗示を駆使し、すべてを言い表さない俳句の世界をスペイン語でパスにどこまで正確に伝達できるかという部分で、私は確信が持てなかったのです。 
(90〜91頁)


オクタビオ・パス 主要作品略年譜

 西暦  年齢

1914   0 3月31日 メキシコ市に生まれる
1931-32 17-18同人誌「Barandal(バランダル)」創刊、自作の詩を発表
1933   19 詩集『野生の月』を発表
1938   24 同人誌「Ta目er(タジェール)」創刊
1941-42 27-28詩編『石と花の合間に』、詩集『世界の最果てに』を発表
1943   29 同人誌「El hijo pr6digo(エル・イホ・プロディゴ)」創刊
1949   35 詩集『言葉のもとの自由』を発表
1950   36 試論(エッセー)『孤独の迷路』を発表
1951   37 詩集『鷲か太陽か?』を発表
1954   40 詩編『讃歌のための種子』、戯曲『ラパッチーこの娘』を発表
1955   41 実験劇集団「Poesla en Voz Alta(ポエシーア・エン・ボス・アルタ)」創設
1956   42 詩論『弓と竪琴』を発表
1957   43 試論『楡の木に梨』、松尾芭蕉『奥の細道』のスペイン語版(共訳)『Senda5 de Oku(センダス・デ・オク)』を発表 長編詩『太陽の石』を発表
1958   44 詩集『激しい季節』(『太陽の石』収録)を発表
1960   46 詩集『言葉のもとの自由』(1935-1957)を発表
1962   48 詩集『サラマンドラ』を発表
1965   51 試論『四つ辻』を発表
1966   52 賦論『田園への窓』を発表                  、1967   'β 試論『交流』、『クロード・レヴィ=ストロース或いはイソップの新たな饗宴』を発表
1968   54 詩集『言葉のもとの自由』(1935-1957)第2版(『激しい季節』収録)、試論『マルセル・デゥシャン或いは純潔の城』、詩集『東斜面』を発表1969   55 パリ、サン・シモンホテル地下3月30日から4月3日までRenga(連歌)を巻く。オクタビオ・パス詩選集『La Centena(ラ・センテーナ)』をスペインで出版
1970   56 試論『追伸』、『合と衝』を発表
1971   57 詩論『回転する記号』、『連歌』を発表
1973   59 試論『記号と落書き』を発表
1974   60 詩論『泥の子供たち』、『文法学者の猿』、訳詩集『訳詩と楽しみ』を発表
1975   61 詩集『明白なる過去』を発表
1976   62 月刊文芸誌「Plural(プルラール)」を辞職し、「Vuelta(ブエルタ)」誌を創刊
1979   65 オクタビオ・パス全詩集『Poemas(ポエマス)1935-19ア5』、試論『博愛主義者の食人鬼』を発表
1982-90 68一76試論『作品の影』、『時代を生きた人間たち』、『批判的情熱』、『くもり空』、歴史研究『ソル・プアナ・イネス・デラクルス或いは信仰の罠』、詩集『樹の内へ』、著者選集『オクタビオ・パス著作におけるメキシコ』、詩論『詩、神話、革命』、『もう一つの声、詩と世紀末』、試論『大いなる日々の小さな年代記』を発表
1990   76 ノーベル文学賞受賞
1991-98 77-84試論『収斂』、『立ち寄り』、『工ロスの彼方の世界一サド侯爵』、『三極の星』、『旅程』、『二重の炎、愛と工ロチシズム』、『インドの薄明』、        「オクタビオ・パス全集全15巻」を発表
1998   84 4月19日死去
【参考文献】
『オクタビオ・パス』Anthropos、スペイン文化庁共同出版、1990年
ウーゴ・J・ベラニ著『オクタビオ・パス批判的著作目録(1931-1996)』EI Colegio Nacional、1997年





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