きょうこの頃



2021年4月14日(水)

ブログ参照
http://kohkaz.cocolog-nifty.com/monoyomi/2021/04/post-1dbc2f.html

ペソア 11 ポルトガルの国民的作家 お札にも

フェイジョアーダ 32 豆と肉の煮込み料理

サラブーリョ 40 豚の血のスープ
ポレンタ 48 トウモロコシの粉で作る付け合わせ

レゲンゴス 45 赤ワイン


スモル http://blog.livedoor.jp/sekainonomimono/archives/65875876.html
パリのハリーズ・バー 81
バガッソ 82 https://hiroshiumezaki.yoka-yoka.jp/e540227.html
https://lisboeta.exblog.jp/6974736/

ヒエロニムス・ボス 聖アントニウスの誘惑の祭壇画
https://www.musey.net/16740
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/77/Jeroen_Bosch_%28ca._1450-1516%29_-_De_verzoeking_van_de_heilige_Antonius_%28ca.1500%29_-_Lissabon_Museu_Nacional_de_Arte_Antiga_19-10-2010_16-21-31.jpg
https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:The_Temptation_of_Saint_Anthony_by_Hieronymus_Bosch_(Lisbon)
https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:The_Temptation_of_Saint_Anthony_by_Hieronymus_Bosch_(Lisbon)#/media/File:Jeroen_Bosch_(ca._1450-1516)_-_De_verzoeking_van_de_heilige_Antonius_(ca.1500)_-_Lissabon_Museu_Nacional_de_Arte_Antiga_19-10-2010_16-21-31.jpg
グリロス

アレンテージョ(Alentejo、発音: [?l??t??u]、アレンテージュ)は、ポルトガル中南部に位置する地方。名前は"alem do Tejo"(テージョ川の下)に由来する。

ポエジャーダ 127 スープ


この本で出会うことになるひとびと

麻薬中毒の青年
足の悪い宝くじ売り
タクシーの運転手
ブラジレイラのバーテンダー
ジプシーの婆さん
墓守
タデウシュ
カジミーロさん
カジミーロさんの奥さん
ペンション・イザドラのドアマンイザドラ
ヴィリアータ
若き日の父
国立美術館のバーテンダi
模写画家
鉄道の車掌
灯台守の奥さん
アレンテージョ会館のボーイ長イザベル
物語売り
マリアジーニャ
食事相手
アコーディオン弾き


 *アントニオ・ポット(一八九七ー一九五九)、詩人、唯美主義者。詩集『カンソンイス』は、公然と同性愛を歌った内容が物議をかもした。
**saudade(孤愁、懐旧の思い、追慕の念)から生まれた言葉。}九一〇年から一九二〇年までの十年間に、雑誌『鷲』を拠点として、詩人テイシェイラ・デ・パスコアイス(一八七七1一九五二)が唱道した、神秘主義的、民族主義的な傾向をもつ哲学・文学運動をいう。(イタリア語版訳注)

本書のなかで食される(あるいは紹介される)料理は次のとおり。

第2章 フェイジョアーダはインゲン豆のスープ。ポルトガル各地でつくられており、その土地独自のレシピがある。いろいろな種類の肉(ただし、豚肉は必須)、ソーセージ、野菜をふんだんに使う。

第3章 ドーロ風サラブーリョ。この豊富に具の入った北部風メインディッシュについては、カジミーロさんの妻が調理法を紹介しているので、これ以上の説明は要すまい。
 パボス・デ・アンジョス・デ・ミランデーラ(ミランデーラの天使の二重あご)は、卵、アーモンドを材料とした、もともとは修道院でつくられていたお菓子。
 レゲンゴス・デ・モンサラースは バイショ・アレンテージョ地方の同名地域でつくられる、有名な赤ワイン。

第4章 ミーガス、アソルダ、サルガリェータはいずれも、アレンテージョ地方の郷土料理。ミーガスは、複数形の呼び名が示すとおり、バリエーションがたくさんあるが、かならず使われるのは、堅くなった田舎風パン。これを少量の油とともに火にかけて、水気の少ないパン粥の状態にする。肉か魚料理に添えて出される。
 アソルダは堅くなった田舎風パンでつくるパン粥。普通はニンニクと生のコリアンダーの葉で香りづけをする。肉か魚料理に添えて出すか、あるいは、これを基本にもっと手のこんだ料理をつくる。なかでも有名なバリエーションが、第6章に登場するアソルダ・デ・マリスコス。これはエビ、魚介類でつくるパン粥で、最後に生卵でとじる。
 サルガリェータは、ラード、ソーセージ、卵、ジャガイモ、タマネギを使った、冬場のスープ。

第5章 パイナップル・スモル(またはオレンジ・スモル)は、それぞれの果物の香りをつけた、非常に甘い炭酸飲料。国立美術館のバーテンダーが(つまりは著者が)考案したカクテル「ジャネーラス・ヴェルデス・ドリーム(緑の窓の夢)」は、この美術館が、住所となる通りの名をとって「ムゼウ・ダス・ジャネーラス・ヴェルデス(緑の窓の美術館)」とも別称されることにちなんだもの。

第6章 アロース・デ・タンボリルは、アンコウ(タンボリル)、トマト、ニンニク、コリアンダーの葉でつくるリゾット。煮込んだ浅鍋ごと、熱いまま食卓に出される。
 アソルダ・デ・マリスコスについては、第4章の註を参照のこと。
 この章で紹介されるアレンテージョのスープは、この地方の郷土料理のなかで最もシンプルなものとして取り上げられている。アレンテージョの料理は、貧しい地方の料理の例にもれず、単純かつ少ない食材(この場合、湯、塩、ガーリック・トースト、生のコリアンダーの葉、生卵)でつくられ、同じく貧しい地方の料理の例にもれず、スープやミネストローネの種類が豊富。

第7章 ボルバ風エンソパード・デ・ボレギーニョは、アレンテージョの郷土料理。酢で香りづけをした、子羊の肉と臓物を使ったシチュー。薄く切ったパンといっしょに、スープのようにして出す。ポエジャーダは、堅くなったパン、ニンニク、タマネギ、新鮮なチーズでつくるスープ。
ポエージョス(野生のミントの一種)で香りをつける。

第9章 「創作料理」あるいはヌーヴェル・キュイジーヌのメニューの名がいずれもそうであるように、マリアジーニャが語る料理の名もすべて想像力の産物である(ちなみに、マリアジーニャがかつて働いたポザーダは、古い城、貴族の別荘、修道院などを改装した、国立の豪華ホテル。
スペインのパラドーレスや、フランスのルレ・エ・シャトーと似る)。ただし、その発想は「文学」にちなんでいるので、命名の由来を説明しておいた方が親切というものだろう。

 『破滅の恋』は、ロマン派時代の大作家、カミーロ・カステーロ・ブランコ(一八二五ー一八六一)の代表作となった小説のタイトル。
 フェルナン・メンデス・ピント(一五一〇?ー一五八三)、主に極東の国々を旅した、冒険家。
一種の壮大な散文叙事詩ともいえる『遍歴記』を著す。
 『海洋哀史』もまた海の冒険と関わりが深く、十六世紀から十七世紀にかけての難破船の生存者について、多数の作者が書き残した報告書を集めたもの。

 「インテルセクシオニズム」は、フェルナンド・ペソアが、詩集『斜めの雨』の出版とともに、一九一四年に唱道した文学運動。
 『愚弄と中傷の歌』は、十二世紀末から十四世紀前半にかけて書かれた、風刺的、写実的、喜劇的な詩の形態で、ガリシア・ポルトガル語の仔情詩である。
 ガフェイラ沼は、ジョゼー・カルドーゾ・ピーレスの小説『いるか』(一九六八年)の舞台となった、架空の土地。本文にもあるとおり、ガフェイラ沼のうなぎ「いるか風」の調理法は、幸いなことに、伝統料理である「うなぎのブイヤベース、ムルトーザ風(カルデイラーダ・デ・エンギーアス・ア・モ!ダ・ダ・ムルトーザ)」とちがわない。
 シントラの近くのコラーレス地方は、銘醸白ワインの産地として知られる。
   (以上、イタリア語版訳註)


 フェルナンド・ペソア(リスボン、一八八八年-一九三五年)、ある評者は彼をリルケやイェイツとともに、二十世紀最高の詩人の一人に置く。ただし、リルケほどの幻視者ではなく、イェイツほど威勢のいい修辞家ではないとの但し書きをつけて。ペソアという人格(ポルトガル語のpessoaは英語のpersonに相当する)は、自らの名前で詩を書くかたわら、アルベルト.カエイロ、アルヴァロ・デ・カンボス、リカルド・レイスという三人の詩人の分身をつくりだし、自ら彼らを「異名」と呼び、それぞれ別個の「人生」と「哲学」をさずけた。たとえば、カエイロは「見るひと」に徹した、禅僧のような苦行者。デ・カンボスはエロティックな衝動を内に秘めた、ロマンチックなニヒリスト。レイスは「中庸」を強く念じるストイスト、といった具合に。
 『レクエイム』の第一章に名が挙げられたベルナルド・ソアーレスは、ペソアがつくりだしたそうした分身たち(池上氏によれば、真の意味での「異名」ではないそうだ)の一人だが、上述三名の異名とはちがって、詩ではなく、リルケの『マルテの手記』を思わせる随想録『不安の書』を著した。職業は簿記係、下町の繁華街の織物工場に面した借家住まいで、小さな窓辺の向こう側に他人の人生を覗き見る、孤独のひと。そんな架空の人生をペソアは彼に用意した。
 これまでいくつか目にしたペソアについての評言のなかでは、オクタビオ・パスの言葉がとりわけ心に残っている。しおり代わりに頭のどこか隅っこにはさみこんでおくには手頃なサイズではないかと思うので、最後にそれを引いておく。
 英語をこよなく愛する男。極度の近視。着ていた服はいつも黒。口数は少ないが、物腰はやわらかく、人なつこい。ナショナリズムを説くコスモポリタン。無用の事物の、おおまじめな探求者。笑わずに、ひとの血を凍らすユーモリスト。自分とは別の詩人の創造者、かつ自分という人格の破壊者。己を装うことで己を知るーそんな、水のように清澄で、水のようにひとを惑わすパラドックスの実践者。神秘にことさら捉われない、真昼の月のような神秘主義者。ポルトガルの日ざかりをさすらう、寡黙な亡霊。ーいったい、ペソアとはだれなのか?
                               ーオクタビオ・パス
(180-181p. 訳者あとがき)




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