きょうこの頃



2021年3月16日(火)

 『司馬遼太郎が考えたこと〈3〉エッセイ1964.10〜1968.8 (新潮文庫) 』読了。


司馬史観のエッセンス。
 戦前の家がもっていた重厚な伝統と美意識などはなく、いかにも手がるで、薄っぺらくて、いかにもインスタントである。そのインスタント家庭のあつまりがこんにちの日本の社会であり、日本国そのものであり、われわれがこの社会やこの国をふりかえるとき、インスタントの気安さをありがたがりつつもわれながら薄っぺらく、わびしく、さむざむしく、有難味がなさそうに思えるのはそれであろう。
 これが、現実である。
 私はなにも過去を賛美し、あの重くるしい旧民法的「家」を礼賛し、あの身の毛のよだつような部分をもつ家族制度の復活をたくらもうとしているのではない.ただ、過去の人間は深い穴ぐらから出てきたことをいっている。その穴ぐらには歴史と伝統と秩序と精神美があり、そこから出てくる人間の骨髄にはそれらがしみこんでいる。それはその秩序美に随順しようと、その秩序美に血みどろになって反逆しようと、反逆するに値するだけの実用量があり、いまの家や社会にはそれがない。浅っぽい穴ぐらからわれわれが出てくるがために、たとえば政治家になればあのように恥がなく、選挙民になれば恥じらいもなく政治家にたかる。しかも日本人でありながら日本人であることを軽蔑してしかこの社会に生きられない。
 どうすればよいか。
 ということをいっているのではない。これが明治百年の現実である、といっている。今後の日本人の課題としては、この人類史上稀有(けアつ)の一枚張りの大衆社会(むろんそれは世界に誇るに足る)を混乱からすくい、秩序を確立し、秩序美をつくり、それを精神にまで高め、かつて江戸期の日本人がついにみごとな美的精神像をつくりあげたと同様の努力と作業をしてゆくべきであろう。 (昭和42年1月)
(287〜289頁)



内容(「BOOK」データベースより)
日本は経済大国の仲間入りを果たし、「昭和元禄」の繁栄が始まった。司馬遼太郎は、『国盗り物語』『関ケ原』など大作を次々に発表、1968(昭和43)年には『竜馬がゆく』がNHK大河ドラマとなり国中の喝采を得る。第3巻は、執筆の内輪を明かす「歴史小説を書くこと」、ベトナム戦争の泥沼に足を踏み込むアメリカと安穏とする日本を対比した「平和は難かしい」など129篇を収録。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
司馬/遼太郎
1923‐1996。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を一新する話題作を続々と発表。’66年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞を受賞したのを始め、数々の賞を受賞。’93(平成5)年には文化勲章を受章。“司馬史観”とよばれる自在で明晰な歴史の見方が絶大な信頼をあつめるなか、’71開始の『街道をゆく』などの連載半ばにして急逝。享年72

出版社 : 新潮社 (2005/1/28)
発売日 : 2005/1/28
言語 : 日本語
文庫 : 560ページ
ISBN-10 : 4101152454
ISBN-13 : 978-4101152455





content2016
content2015
content2014