きょうこの頃



2021年2月6日(土)

 柳田由紀子『宿無し弘文』読了。
 
 ブログ http://kohkaz.cocolog-nifty.com/monoyomi/2021/02/post-68dee0.html

 え? ああ、そう、彼は澤木興道老師の坐禅会に通っていたのですか。なるほど。
 澤木老師は、「宿無し興道」とか「移動式叢林」ー叢林とは、僧が集まって修行する場のこと。寺院、特に禅寺をこう呼びますーなどと自称しておられたように、自分の寺を持たず、生涯独身で、坐禅指導に招かれれば全国どこへでも行くというスタイルを貫いた曹洞宗の高僧です・ただし・洛北の「安泰寺」だけは名目上の住職で、毎月「紫竹林参禅道場」という坐禅会を開いておられました。
 そうでしたか、知野さんは澤木老師のところでね。それは実に貴重な体験をされたものですね。
 幼くして両親を亡くし、色街で最底辺の暮らしをしている間に発心(ほっしん)して永平寺で坐禅修行をされた澤木老師は、知野さんの論文のテーマである〈転依〉をまこうことなく生きた僧侶です。
また、法話も抜群におもしろかった。
 ああ、そうか、そうですね。知野さんの生き方に、澤木老師の影響を見ることができると思います。知野さんもある時期から、あちこちの寺を転々としたでしょう? 実際、私が一九九〇年代にカリフォルニアの慈光寺を訪ねた時も、彼はいなかったなあ。
 さて、知野さんの修士論文に話を戻しますと、〈転依〉というのは、仏教用語で人格の根本転回。つまり修行によって悟りを開き、人格がひっくり返り、それまで気づかなかった新しいモノの見方ができるようになることを意味します。
 人は、生まれ育って一人前になって、その時にどうやって自分の人生を見つけるか? 〈転依〉ができれば、その人らしく生きられるのですが、並大抵な努力でできるものではありません。では、どんな仏教修行をすれば〈転依〉にいたれるのか?
 知野さんの論文は、それを西洋哲学との関わりの中で考察しているわけです。〈転依〉は、仏教哲学の根本思想で、欧米に仏教を伝える上でのキーターム、鍵となる用語でもあります。
その意味で、彼の目のつけどころは大変核心を突いているといえます。
 それでは、考察の果てに彼が本当に答えを見出したかとなると、さて……。
 第一、この命題は大学院の数年間で答えを出せるようなものではないのです。知野さんも相当苦悩したはずです。一〇年ほど前に退官するまで、京大教授としてインド・中国仏教を教えていた私の知野さんの論文に対する評価は、「本人の努力は認める」といったところでしょうか。とはいえ、ハッタリや見栄が一切ない良心的な内容で、知野さんらしいと思います。
(74〜75頁)

 道元禅師の言葉に〈風性常住(ふうしょうじょうじゅう)〉というのがありましてね。これは、風は充満しているが行動しないと風は起きない。理論に安住して行動しないと、何も働き出さないっていう意味なんです。
(89p.)

 当時はまだ、超大型コンピュータは政府や大企業など、ひと握りのエリートが管理していた時代です。今では考えられないことですが、コンピュータは保守や権威の象徴だったのです。
そういう時代に、スティーブは、机の上に置ける小さなコンピュータを創ろうとした。個人がコンピュータを手に入れることで、自由と解放、知識を平等に共有する社会を実現したかったからです。
 ですから、アップル社は、あの頃のコンピュータ業界で異端の存在でした。
 日本には長い禅の歴史があるので、禅は"伝統文化"と捉えられていることでしょう。けれども、ヒッピー世代が登場するまでキリスト教一辺倒だったアメリカにあって、禅は伝統とは真逆の"反体制文化"、カウンターカルチャーそのものだったのです。日本人には、"静謐な禅"と、スティーブ・ジョブズのような"熱き革命児"は相反して映るかもしれませんが、カウンターカルチャーの文脈で考えると理解できると思います。
 私たちが共有していたのは、「コンピュータを通じて世界を変革する」という思想。これは、ヒッピー特有の管理社会に反発する反体制思想からくるものです。
 カウンターカルチャーは、文学、音楽、ヴェトナム反戦運動、そして禅に代表される精神世界など多岐の分野に浸透しましたが、コンピュータも例外ではなかったのです。 
(176p.)

 ところで、チョギャム・トゥルンバって知っていますか?
 知らない? そうね、日本ではほぼ無名ですもんね。トゥルンバは殿誉褒既あい半ばする人物ですが、アメリカにおけるチベット仏教を語る時、忘れてはならない存在です。彼が著した『タントラへの道』は、この国でロングセラーになっていますよ。スティーブ・ジョブズも学生時代に愛読していたようですね。
 少しトゥルンバの話をしましょうか。というのも、弘文は彼と親しい間柄で、また、チベット仏教に大変深い関心を抱いていたからです。

 仏教は、紀元前五、六世紀頃にお釈迦様が始められました。しかし、インドでは中世に仏教が衰退。かの地では今、ヒンドゥー教が主流になっています。念のためですが、釈迦はインド生まれではなく、インド国境から十数キロ離れた現ネパールのルンビニで誕生したといわれています。
 一方、チベットには、インドで衰退する以前のインド大乗仏教が伝わり、継承、保全されるとともに密教も展開されました。
 大乗仏教とは、釈迦の入滅後何世紀も経ってから興ったものです。それ以前に広まっていた〈上座部仏教〉は、出家した一部の人々を対象とした自助努力型でしたが、大乗仏教では、そうした考え方を大転換させて、在家の民衆でも救われる道を説いています。
 大乗仏教といえば、日本に伝わったのも大乗仏教で、その源は紀元前後に中央アジアに展開したもののようです。しかし、同じ大乗仏教でも、チベット仏教には、日本には入らなかったインド大乗仏教の要素が多く見られます。弘文が関心を寄せたのは、まさにこの点でした。

 さて、チョギャム・トゥルンバですが、一九三九年、東チベット生まれ。彼をリンポチェと呼ぶ人も多いのですが、リンポチェは名前でなく、活仏や生き仏、僧院長、時に王に用いる称号です。トゥルンバは、生後まもなくチベットの仏教界から活仏として見出され、カルマ・カギュ派の僧院で英r教育を受けました。
 しかし、4九κ九解、中国のチベット侵略を逃れてインドに亡命。その後は、一九六三年にイギリスのオックスフォード大学で比較宗教学ほかを修め、スコットランドでチベット仏教の瞑想センターを開きます。
 そして、一九七〇年、今度は渡米し、西部のコロラド州と東海岸のバーモント州を拠点に活動を開始。僕の父が、トゥルンバのミシガン支部を任されたのはその直後でした。つまり僕は、チベット仏教に包まれて育ったのです。
 たとえば、トゥルンバは一九七四年に  この年は、ニクソン大統領が辞任、アメリカ社会は転換期を迎えていました1教育の拠点として、コロラド州ボルダーに「ナーローパ協会」
を創立しましたが、その時、八歳だった僕も父と一緒に協会を訪ねています。また、それ以前の一九七一年に、トゥルンバはロッキi山脈の麓に広大な修行場、「シャンバラ・マウンテンセンタi」を開きましたが、僕は一二歳でここのセミナーにも参加しました。
 弘文に出逢ったのは、その九年後、このセンタ1においてです。弘文は、講師として来ていました。
 というのも、トゥルンバが開発した「シャンバラ・トレーニングメソッド」という修行法には、積極的に禅が導入されていたからです。トゥルンバは、チベット仏教というベースに坐禅を中心とする禅の要素を大胆に採り入れ、僧院で修行を積んだ経験のない人でも習得できるシンプルな修行法を構築しました。禅は誰にでも門戸を開いていますからね。どんな人でも、ポンと坐ればそれでいいですよみたいな。
 したがって、シャンバラ.トレーニングメソッドは、オーソドックスなチベット仏教の修行
(183-185p.)




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