きょうこの頃



2017年2月18日(土)

 ちょうど10年前に読んだ『形見函と王妃の時計』の前作でアレン・カーズワイルのデビュー作。

 調べてみると、日本語に翻訳されている小説は長編小説三編のみ。

 2006年の『レオンとポテトチップ選手権』が最後。

驚異の発明家(エンヂニア)の形見函 (海外文学セレクション) 単行本? 2003/1
アレン カーズワイル (著), Allen Kurzweil (原著), 大島 豊 (翻訳)

 原題は“A CASE OF CURIOSITIES”

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 本書の作者アレン・カーズワイルは、一九六〇年、ニューヨークに生まれた。イェール大学を卒業後、一九八五年に、彼は雑誌記者としてオーストラリア中央部にあるアボリジナル居住地域に取材に派遣され、そこで人生の転機に出会った。それは彼の妻となることになる女性文化人類学者である。つねつねジャーナリストではなく小説家になりたいと思ってきたカーズワイルに対して、彼女は「同じ苦しむんだったら小説を書けばいいじゃないの」と励ましたという。
 その半年後、二入はフランスに移り、そこで一年半を過ごした。カーズワイルが本書の準備にとりかかったのはそのときだ。リサーチと執筆には五年を要した。
 出版後、この『驚異の発明家(エンヂニア)の形見函』はたちまち大好評で迎えられた。アメリカの書評紙としては最も名高い《ニューヨーク・タイムズ・ブック・レヴュi》は、その書評を一面に掲載した。さらに、 九九六年には、文芸誌《グランタ》が「新進アメリカ小説家」特集を組んだとき、その一人としてカーズワイルを選び、ここで彼の評価が定まったのである。
 待望の第二作目The Grand Complicationは、二QO一年にようやく出版された。これはいわばデビュi作と表裏「体を成す物語で、本書をすでにお読みになった方は、そのタイトルを見て、どうつながりがあるのかぼんやりと想像できるかもしれない。二作目を書くのになんと九年かかったというところも、カーズワイルの丹念な仕事ぶりをよく表している。これも将来、東京創元社から翻訳出版が予定されているそうだ。どうぞお楽しみに。


 博物学の黄金時代であった十八世紀末のフランスを舞台にして、クロード・パージュという}人の器械師の数奇な物語を描いてみせた本書で、まず何よりも圧倒されるのは、その細部の惜しげもない豊穣さだ。形見函に納められた…つ一つのアイテムが、無言のうちに由来の物語を語っているように、こうした細部の固有名詞一つ一つ、ささやかな情報の一片一片が、観念史の側面から見た時代背景に厚みを与えていて、作者のリサーチの徹底ぶりをうかがわせる。このそれぞれに注釈をつけていけば、おそらく膨大な量になって、本文を凌(しの)いでしまうかもしれないと思えるほどだ。読者は各自の興味に従ってその注釈作業に誘われているような気がするので、そのほんの一例を、ためしにここでやってみよう。

▼『自然の体系』 (第三部、八五ページ)
「分類学の父」と呼ばれるカール・フォン・リンネの代表的な著作。動・植・鉱物を分類したもので、初版は{七三五年。最初は小冊子だったが、リンネが改訂を重ねるにつれ、膨大な書物にふくれあがった。本書で尊師(アペ)が参照している「第十版」は、「七五八年に出たもので、リンネの分類法の基礎となった二名法が全巻を通して使われた最初の版として重要である。このあたりがカーズワイルの芸の細かいところ。
▼カルペパi (第三部、八九ページ〉
 ロンドンに店を構えていた、精密器具製造業者エドマンド・カルペパーのこと。本書で描かれている時点では、初代のエドマンド自身はすでに亡くなっている。
 ロバート・フックが著した『ミクログラフィア』念六六五。仮説社)の刊行以来、ヨーロッパでは貴族の娯楽として顕微鏡が流行していた。カルペパーが一七三〇年頃に考案した三脚式の顕微鏡は、安姫でもあって大いに売れたという。このカルペパー型顕微鏡は十八世紀の中頃に日本にも輸入され、本草学者に珍重されるところとなった。
▽バッティ (第三部、 一〇五ページ)
 精神異常に関する草分け的な著作『狂気論』(一七五八)で有名になった英国のウィリアム・バッテイのこと。英語で“batty”という言葉は、本来は「蝙蝠(こうもり)のような」という意味だったが、「頭がいかれている」という意味にもなったのは、彼の名前から来ている。尊師(アベ)とリーブルのやりとりで、リーブルがバッティという名前を聞いて、名前が人間の運命を左右する決定的な要因であるという理論を確認する新たな証拠だと言っているのは、その“batty”という単語を思い浮かべてのことで、作者のささやかなジョーク。
▼『パリの秘密』 (第三部、 一〇八ページ)
 リーブルが後生大事に持ち歩いているこの本、題名が『バリの秘密』とあっては、読者は誰しもべストセラー作家ウジェーヌ・シューの同名の傑作ロマンスを思い浮かべるに違いない。ところが、そこではてなと首をひねるのではないか。この『パリの秘密』は出版されたのが一八四二年から四三年にかけてだった.、これはカーズワイルが意図的に挿入したアナクロニズムなのか? 綿密な時代考証に裏打ちされた本書で、ここだけ作者がとんでもないポカをやらかしたなんてことがありえるのか?・ しばらく読み進めて、この『パリの秘密一の「秘密」を知った読者は、カーズワイルにしてやられたと思わず膝を打つことになる。これは巧妙に仕掛けられた作者の悪戯なのだった。
▽『おしゃべりな宝石』 (第五部、 o九七ページ)
 本書で描かれているように、この時代にヨーロッパでポルノグラフイーの秘密販売が最も盛んだつたのはフランスである。
『百科全書』で有名なディドロが、この『おしゃべりな宝石』という奇想小説を書いたことはあまり知られていない。題名にいう「宝石」とは、すなわち女性器のこと。それが文字どおりしゃべるのである。
▼『オナニア』 (第五部、一九八ぺージ)
 十八世紀には、マスターベーションを忌むべき病気とする論考が盛んに出版された。本書で引用されている、「故意の自漬行為という憎むべき罪」という副題を持った『オナニア』なる小冊子が、一七一〇年頃にロンドンで出たのがその始まりである。著者は氏名不詳の医師であるが、本妾に医師だったかどうかは疑問視されている。
 ただし、ここでクロードが熟読している『オナニア』は、ロンドンで出たそれではなく、一七六〇年にスイスの医師サミュエル・アウグスト・ティソが著した「オナニスムあるいは自慰行為による症状について』らしい。クロードが読んで仰天する、マスターベーションをやりすぎて死んだ時計職人の症例は、このティソの『オナニスム』に実際に出ているものである。
 こうしたマスターベーションに警告を発する書物が、その意図に反して、クロードのように読者をその行為へと誘ってしまうポルノグラフィー的な役割を当時果たしていたことも、また付記しておかねばならない。
▼フォン・ケンペレンのターバンを巻いた将棋指し (第九部、三二三ページ)
 本書中にも言及されている、ヴォーカンソンの家鴨と並んで、自動人形の歴史を飾る有名なエピソード。ターバンを巻いたトルコ人の姿をしたこの自動人形は、人間とチェスを指すことができた。真相は、チェス盤が置かれている台座の中に人間が隠れていて、自動人形を動かしていたわけである。
これはエドガー・アラン・ポオが「メルツェルの将棋指し」という短篇に仕立てたことでも知られる。
なお、人工知能を扱ったリチャード・パワーズの『ガラテイア2.2』(みすず書房)にも、ヴォーカンソンの家鴨についての言及があるので、興味のある向きはそちらも参照してほしい。


 あくなき好奇心、観念の虜、非人間化ーこうした時代風潮は、本書で扱われている博物学、自動人形、ポルノグラフィーといったテーマと密接に結びついている。博物学の行き着く先の一つは、煎じつめれば、人間を含む生物の機械的メカニズムの解明にあった。ポルノグラフィーが描く人間像は、セックス・マシンとしての人間であった。すべては自動人形という、器械仕掛けの人間のイメージに収徹(しゆうれん)していく。
 メカ狂いの主人公クロード・パージュが通過するのは、そういう時代である。彼がその性遍歴と発明遍歴を通して獲得することになるのは、器械ではない生身の人間の姿でなくてはならない。
 名著『鉛筆と人間』(晶文社〉の著者である工学史家のヘンリー・ペトロスキーが書いた、To EngineerIs Humanという素晴らしいタイトルの本がある。このタイトルはもちろん"To err is human"(「過つは人」)をもじったものである。それを借用して言うなら、過ちの体験を通して、初めてクロード・パージュは真の意味で「器械師(エンジニア)」となるのだ。
 これをさらに小説史的に言い直せば、次のようになるだろう。本嵜のタイトル"A Case of Curiotisies"から直ちに想起されるのは、ディケンズの『骨董屋』(The Old Curiosity Shop。ちくま文庫)である。
実際、「驚異の発明家(エンヂニア)の形見函』の人物描写やプロットなどには、ディケンズの諸作を思わせる部分が多々ある。つまり、この小説は時代が十八世紀末(そして現在)に設定されているように、十八世紀から十九世紀へ、スターンからディケンズへと通過していく小説であり、さらには、「形見函」という中心的な装置を「書物」そのものの隠喩とするような、ポストモダンふうの趣向を薄物のように身に纏(まと)った小説なのだ。
「名前の理論」が指し示すように、主人公のクロード・パージュ(Claude Page)は英語読みの「ぺージ」として小説の中にすっぽりとくるまれる。それだけではない。作者のアレン・カーズワイル(Allen Kuzweil)も、こっそりと小説の中に姿を現して、彼自身の名前の由来を明らかにする。「アイン・クルツヴァイル」(ein kurzweil)すなわち「単なる暇つぶし」とは! そこを読んだときに、わたしはまたしてもこの作者にしてやられたと舌を巻いたことを白状しておく。
 これが本当に新人のデビュー作だなんて、誰が信じることができるだろうか。
(訳者後書きより)


登録情報

    単行本: 349ページ
    出版社: 東京創元社 (2003/01)
    言語: 日本語
    ISBN-10: 4488016359
    ISBN-13: 978-4488016357
    発売日: 2003/01
    商品パッケージの寸法: 21.2 x 15.8 x 3.2 cm

内容紹介

Hailed by critics for its brilliance, A CASE OF CURIOSITIES begins In France, on the eve of the Revolution, when young man named Claude Page sets out to become the most ingenious and daring inventor of his time. In the courst of his career filled with violence and passion, Claude learns and creates many things. But his greatest device, a talking mechanical head, leads to an execution as tragic as that of Marie Antoinette, and far more bizarre.
"Captivating...marvelously re-creates an unfamiliar world [and] also successfully imitates the style of writing associated with novelists of the age."
SAN FRANCISCO CHRONICLE -

出版社からのコメント

骨董の"函"が語る自動人形発明家=フランス版平賀源内の数奇な運命!  1983年、パリの骨董品オークションで手に入れた、がらくたの詰まった函。それは産業革命以前のフランスで、自動人形の開発に心血をそそいだ天才発明家の「形見函」だった。10の仕切りのなかには、それぞれ、広口壜、鸚鵡貝、編笠茸、木偶人形、金言、胸赤鶸、時計、鈴、釦、そして最後のひとつは空のまま。フランス革命前夜、のちに発明家となる少年クロード・パージュの指が、ジュネーヴの外科医によって“故意”に切り落とされる事件が起こる。ここに端を発する彼の波瀾万丈の生涯について、函におさめられた10の想い出の品は、黙したまま雄弁と語りはじめるのだ――。18世紀という好奇心にみちた時代を鮮やかに再現し、世界の批評家たちを唸らせた驚異のデビュー作!

 とまれ、「形見函」とはいったいどんなものでしょう? 美しく、妖しげなカバーとオブジェにぜひご注目ください。
内容(「BOOK」データベースより)

1983年、パリの骨董品オークションで手に入れた、がらくたの詰まった函。それは産業革命以前のフランスで、自動人形の開発に心血をそそいだ天才発明家の「形見函」だった。10の仕切りのなかには、それぞれ、広口壜、鸚鵡貝、編笠茸、木偶人形、金言、胸赤鶸、時計、鈴、釦、そして最後のひとつは空のまま。フランス革命前夜、のちに発明家となる少年クロード・パージュの指が、ジュネーヴの外科医によって“故意”に切り落とされる事件が起こる。ここに端を発する彼の波瀾万丈の生涯について、形見函におさめられた10の想い出の品は、黙したまま雄弁と語りはじめるのだ―。18世紀という好奇心にみちた時代を鮮やかに再現し、世界の批評家たちを唸らせた驚異のデビュー作。
内容(「MARC」データベースより)

骨董品「形見函」の硝子の蓋を開けると十の仕切り。各々に収められた想い出の小物が語る、フランス革命前夜、自動人形製作に心血を注いだ稀代の発明家クロードの数奇な生涯。
レビュー

"Brilliantly playful . . . More like a joint effort by Henry Fielding and John Barth, it is clever indeed but also riotous, melodramatic and erotic, full of lore and lewdness and crackling with ideas and exhilarated imagination."-Chicago Tribune

PRAISE FOR" A CASE OF CURIOSITIES"
"What John Fowles did for the 19th century with The French Lieutenant's Woman and Umberto Eco did for the 14th with The Name of the Rose . . . Kurzweil now does for the late 18th century with A Case of Curiosities. [A] captivating novel."-San Francisco Chronicle

著者について

Allen Kurzweil was named a "Best Young American Novelist" by Granta for A Case of Curiosities, his first novel. He has been the recipient of Guggenheim and Fullbright Fellowships, and a 1999 Fellow of the New York Public Library for Scholars and Writers. He has completed his second book, The Grand Complication. His fiction has been honored in the United States, France, Italy, and Ireland. He lives in Providence, Rhode Island.

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

カーズワイル,アレン
アメリカの作家。1992年に本書『驚異の発明家の形見函(A Case of Curiosities)』でデビュー、ドイツ、フランス、ロシアなど12か国で出版され、国内外の批評家から絶賛される。1996年、グランタ誌の「アメリカでもっとも有望な若手作家」に選ばれたのもこの作品による。メジャーな賞には縁がなかったものの、エア・リンガス(アイルランドの航空会社)/アイリッシュタイムズ文学賞、メディシス賞(フランス)の候補となった。グッゲンハイム、フルブライト両奨学金を得た経験があり、1999年にはニューヨーク公立図書館の研究員として1年を過ごした。ロードアイランド州プロヴィデンス在住

大島豊
1955年生まれ。上智大学外国語学部卒





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