きょうこの頃



2015年9月12日(土)

 早朝、目が覚めてしまったので、さっそく続きを読み始め、6時頃には読み終わる。


 ブログ参照。http://kohkaz.cocolog-nifty.com/monoyomi/2015/09/post-a926.html

 この本の最大の問題点の一つは、出版社である。
 太田出版は最近は少年Aの著書を出版したことで有名。
 出版社の姿勢として「エグい」。
 この本も、「エグい」。
 センセーショナルで読みやすい書を送り出すというコンセプト。



「私らは侮辱の中に生きている」6p。大江健三郎、2012年7月16日、さようなら原発10万人集会。

 加藤典洋『戦後後論』43p。
 江藤淳『1946年憲法 その拘束』45p。


この二側面は相互を補完する関係にある。敗戦を否認しているがゆえに、際限のない対米従属を続けなければならず、深い対米従属を続けている限り、敗戦を否認し続けることができる。かかる状況を私は、「永続敗戦」と呼ぶ。
 永続敗戦の構造は、「戦後」の根本レジームとなった。事あるごとに「戦後民主主義」に対する不平を言い立て戦前的価値観への共感を隠さない政治勢力が、「戦後を終わらせる」ことを実行しないという言行不一致を犯しながらも長きにわたり権力を独占することができたのは、このレジームが相当の安定性を築き上げることに成功したがゆえである。彼らの主観においては、大日本帝国は決して負けておらず(戦争は「終わった」のであって「負けた」のではない)、「神洲不敗」の神話は生きている。しかし、かかる「信念」は、究極的には、第二次大戦後の米国による対日処理の正当性と衝突せざるを得ない。それは、突き詰めれば、ポツダム宣言受諾を否定し、東京裁判を、否定し、サンフランシスコ講和条約をも、否定することとなる(もう一度対米開戦せねばならない)。言うまでもなく、彼らはそのような筋の通った「蛮勇」を持ち合わせていない。ゆえに彼らは、国内およびアジアに対しては敗戦を否認してみせることによって自らの「信念」を満足させながら、自分たちの勢力を容認し支えてくれる米国に対しては卑屈な臣従を続ける、といういじましいマスターベーターと堕し、かつそのような自らの姿に満足を覚えてきた。敗戦を否認するがゆえに敗北が無期限に続く  それが「永続敗戦」という概念が指し示す状況である。
 そして今月、このレジームはもはや維持不可能なものとなった。ひとつには、グローバル化のなかで「世界の工場」となって莫大な国力を蓄えつつある中国は、口本人のかかる「信念」が中国にとって看過できない害をなすのであれば、それを許容しはしないということ。そして第二には、 一九七〇年代以降衰退傾向を押しとどめることのできない米国は、冷戦構造の崩壊以後、日本を無条件的同盟者とみなす理由を持たない、という事情が挙げられる。そのとき、米国にとっての日本は、援助すべき同盟者というよりも収奪の対象として現れる。だが、こうした客観的情勢にもかかわらず、「侮辱の体制」はいまだ頑として聳え立っている。48−49p


 この大岡の発言を加藤は、昭和天皇に暗に向けられた「恥を知れ」というメッセージであると読む。私はこの読解を正当なものとみなす。「恥を知る」という【点においてのみ、「生き延びてしまった」という負い目からかろうじて身を保つことができる、という姿勢が大岡昇平の示したエチカであった。この立場からすれば、退位すら実行しなかった昭和天皇の存在がどのようなものとして評価されたか、想像に難くない。
 しかし、いまや注目されるべきは大岡の到達した思想的境位、すなわち戦後日本が達成した物質的繁栄・富裕化のなかであえて敗残者としての立場に固執し、強靭な精神によってそれを保ったということのみではない。いまや問題は、もっと物質的なものとなっている。言い換えれば、現在開題となっているのは、われわれが「恥知らず」であることによる精神的堕落・腐敗のみならず、それがもたらしつつあるより現実的な帰結、すなわち、われわれが対内的にも対外的にも無能で「恥ずかしい」政府しか持つことができず、そのことがわれわれの物質的な目常生活をも直接的に破壌するに至る(福島原発事故について言えば、すでに破壊している)ことになるという事実にほかならない。50p


 





ち、占領軍の「天皇への敬愛」が単なる打算にすぎないことを理解できないのが戦後日本の保守であり、このことを理解はしても「米国の打算」が国家の当然の行為にすぎないことを理解しないのが戦後日本の左派である。言うなれば、前者は絶対的にナイーヴであり、後者は相対的にナイーヴである。
 ちなみに、天皇の戦争責任をめぐる左右のこうした構図は、憲法第九条に対する見解においては、鏡像反転したかたちで現れる。周知のように、右派は憲法第九条を戦後日本にとっての最大の姪楷(しっこく)とみなし、護憲左派はこれを対日占領政策のうち最も高く評価すべきものに数える。こと憲法問題に限っては、親米右派は大好きなアメリカからの貰い物をひどく嫌っており、反米左派は珍しくこの点だけについてはメイド・イン・USAを愛してやまない。
 記憶しておくべきは、先にも触れたように、護憲左派の言うところの「世界に冠たる平和憲法」は、「原子力的な日光の中でひなたぼっこをしていましたよ」(GHQホイットニー准将)という強烈な脅し文句とともに突きつけられた、という事実である。戦後憲法のなかに「ニューディーラー左派」官僚たちの純真な理想主義が盛り込まれていたことは確かではあるが、その理想は、日本が二度と再び米国にとっての軍事的脅威となり得ないようにするという米国のむき出しの国益追求と結びつくことによってはじめて、現実化されたものであった。さらに言えば、第九条以外の新憲法の特徴、すなわち基本的人権の尊重や言論・集会の自由等々の自由主義的諸条項 128p

注1

吉田茂らが日本国憲法の草案を検討しているところに訪ねてきたホイットニー准将は、日本側の草案(松本試案)
を完全否定し、アメリカの作成した憲法草案を受け入れるよう詰め寄った。本文中の脅し文句は、草案の確認のた
めに与えられた一五分という極めて短い時間の後、戻ってきたホイットニーが放ったものとされる。314p


な勢力が出てくる場合に、同じ海の向こうにBという別の勢力を擁して支援を与え、AとBとの間で緊張関係を高めさせ、自らは海のこちら側で安全を確保するという戦略である」。米( )国から見れば、中国の台頭、その政治的プレゼンスの巨大化は抑えがたいものとなりつつあり、これを単独で抑制するためのコスト負担にはもう耐えられない。また、中国と日本とが接近・協同して、米国中心の世界秩序への挑戦を企てることこそ、最悪の構図であり避けられるべきである。
したがって、日中の関係に一定の楔(くさび)を打ち込んでおくこと、その関係が決して親密にならないよう火種を残しておくことが、重要な戦略であり、軍産複合体の利益にもかなう。そして、同様の構図は、日韓・日露間の関係に対しても多かれ少なかれあてはまる。もちろん、こうした戦略は、冷戦時代にも見られた。第二章で見た北方領土をめぐる「ダレスの桐喝」などは、その典型である。ただし、冷戦時代と現代で大きく異なるのは、ボーダレス経済化によって潜在的な敵対国であっても経済関係の緊密化は避けられず、そのためにコンフリクトの種は容易に増大しうること、言い換えれば、「嫌いな相手とは付き合いを避ける」という選択はとれない、という事情である。ゆえに、米国が弄する戦略のもたらす帰結は、冷戦時代に比べて、はるかに危険なものとなりうる。
 ここで繰り返さなければならないが、こうした事柄はわかり切っている。オフショア・バランシングは卑劣な意図に基づく帝国主義的政策であると難じることには、どうしようもない空しさ 136p


そして、あの自動作用は、原爆を投下されたことの責任と意味を塗りつぶすものにほかならない。
 ところで、私は中国・北京の「中国人民抗日戦争記念館」を訪れたことがある。見学者が記入するノートをめくってみて気づいたのは、最も多く書き込まれた字が「恥」であるということだった。つまり、多くの中国国民にとって、侵略を受け、膨大な犠牲者を出したことは、「怒り」の対象である以上に、「恥ずべき」事柄なのである。翻って、事あるごとに「国の誇り」というような御題目を唱えたがる日本の自称「ナショナリスト」たちが、原爆を落とされたことについて「恥ずかしい」とどうやら思っていない(私の知る限りでは誰もそのようなことを言わない)らしいことは、通常の思考回路からすれば不可思議千万な事柄である。明らかにされているように、人種差別や人体実験、科学者の戦争協力への動機の維持、ソ連への牽制といった要因にも促されることによって、核兵器は実際に使用された。われわれはそのような実験台と道具にされた。ゆえに、被爆の経験は悲惨の極致であっただけではない。それは恥辱の経験でもあった。にもかかわらず、永続敗戦レジームに規定された「ナショナリスト」は、誰もそのようには感じないようである。なぜなら、原爆投下を「恥辱」と感じることは、即座に、かかる事態を招き寄せてしまうような「恥ずかしい」政府しかわれわれが持つことができなかったことの自覚へと直結するからである。
 かくして、日本社会の持つ核兵器への反対の信条は、ただ漠然と「核兵器は残酷だから嫌だ」162p


の代表者たちの真の意図が、これらのスローガンを決して実現させないことにあることも、すでに見た通りである。今日、永続敗戦レジームの中核を担っている面々は、もはや屈従していることを自覚できないほど、敗戦を内面化している。
 そして、この顕教と密教の間での教義の矛盾は、対アジア関係において爆発的に噴出する。対米関係において敗戦の帰結を無制限に受け容れている以上、顕教的次元を維持するためにはアジアに対する敗北の事実を否認しなければならないが、それは東アジアにおける日本の経済力の圧倒的な優位によってこそ可能になる構図であった。しかるに今日、この優位性の相対化に伴って必然的に、永続敗戦レジームは耐用年数を終えたのである。
 そしてここにおいて、われわれは戦前レジームの崩壊劇の反復を目撃している。すなわち、顕教的部分による密教的部分の侵蝕、呑み込みである。大衆向けの顕教として掲げられてきた「われわれは負けてなどいない」という心理の刷り込みが、抑えの利かない夜郎自大のナショナリズムとして現象する。そしてこのとき、永続敗戦レジームの主役たちは、これを食い止める能力を持たない。なぜなら、彼らこそ、「負け」の責任を取らず、「われわれは負けてなどいない」という心理を国民大衆に刷り込むことによって自らの戦争責任を回避した張本人たちの後継者であるからだ。永続敗戦レジームの顕教的領域を否定することは、彼らの政治的正統性、もっと言えば、戦後レジーム総体の正統性を直撃するのであり、それゆえ実行不可能である。
 マルクスの言った「歴史は反復する、一度目は悲劇として、二度目は茶番として」という箴言がかくも鮮やかにあてはまる事例は容易には見つからないであろう。少々ナルシスティックな言い方をすれば、幕末の開国から明治維新、日清・日露戦争、そして敗戦に至る日本近代史の過程は、被植民地化を逃れるためのあらゆる努力を払った末に破局に至るという悲劇の歴史であった。近代化を推し進めるための二重性の装置としての天皇制は、その過程で巨大な役割を果たした挙句、自壊した。これに対して、われわれがいま落ち込もうとしている状況は、単なる酔生夢死でしかない。
 しかしながら、マルクスの箴言が枕にしていたへーゲルの言葉はそもそもこう告げていたではないか。「偉大な出来事は二度繰り返されることによってはじめて、その意味が理解され叡(ア)」のである、と。してみれば、「国体」は、二度死なない限り、われわれはその意味を理解できないのかもしれない。166−167


 永続敗戦のレジームが、日本の親米保守勢力と米国の世界戦略によって形づくられたことはあらためて言うまでもなく、その中核には日米安保体制が存在することもいまさら指摘するまでもない。ここで問題は、この「新しい国体」がどのようにして形成されたのか、具体的にどのような過程によって戦前の国体との連続性が確保されたのか、というところにある。
 これについて、本書で再三参照してきた豊下楢彦は、おりしも加藤典洋の『敗戦後論』が論争を呼び起こしたのとちょうど同時期に、著書『安保条約の成立  吉田外交と天皇外交』(一九九六年)によって、きわめて重大な仮説を提起した。それは、一九五一年の安保条約は「戦勝国と敗戦国との圧倒的な格差を背景として、米国の利害が日本に押しつけられたものだった」という広く共有されながらも漢然としたものにとどまっていた歴史認識を、大きく更新する仮説である。『安保条約の成立』から『昭和天皇・マッカーサー会見』(二〇〇八年)に至る豊下の一連の研究は、サンフランシスコ講和条約と同時に調印された日米安保条約が、あからさまな不平等条28
約となった理由を追究することによって、象徴天皇制というかたちでの天皇制の存続と平和憲法(そして、その裏面としての米軍駐留)という戦後レジームの二大支柱はワンセットである、という従来からそれとなく意識されてきた統治構造の具体的成立過程を明らかにするものであり、その過程における昭和天皇の「主体的」行動の存在を説得的に推論するものであった。
 豊下が外務省および宮内庁による資料公開の不十分さ、秘密主義に苦慮しながらも十分な説得力を持って推論しているのは、当時の外務省が決して無能であったわけではなく、安保条約が極端に不平等なものとならないようにするための論理を用意していたにもかかわらず、結果として日米安保交渉における吉田外交がl通説に反してl拙劣なものとならざるを得なかった理由である。それはすなわち、ほかならぬ昭和天皇こそが、共産主義勢力の外からの侵入と内からの蜂起に対する怯えから、自ら米軍の駐留継続を切望し、具体的に行動した(ダレスとの接触など)形跡である。
 条約締結交渉にあたって決定的な重要性を帯びたのは、日米のどちらが米軍の駐留を希望するのか、という点であった。無論、「希望」を先に述べた側が、交渉における主導権を相手に譲ることとなる。したがって、外務省・吉田首相は、朝鮮半島情勢の切迫を背景に、米国にとっても軍の日本駐留が死活的利害であることを十分に認識し、「五分五分の論理」を主張する準備と気構、兄を持っていた。しかし、この立場が結局放棄されるのは、昭和天皇が時に吉田やマッカーサーを飛び越してまで、米軍の日本駐留継続の「希望」を訴えかけたことによる、と豊下は言う。
その結果、一九五一年の安保条約は、「ダレスの最大の獲得目標であった「望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利」を、文字通り米側に"保障"した条約」として結ばれることとなる。また、これらの過程で、沖縄の要塞化、つまりかの地を再び捨石とすることも決定168−169p




永続敗戦論 戦後日本の核心

atプラス叢書 04

著者/訳者

白井聡/著

出版社名

太田出版

発行年月

2013年03月

サイズ

221P 20cm

販売価格

1,700円 (税込1,836円)

本の内容

「永続敗戦」それは戦後日本のレジームの核心的本質で あり、「敗戦の否認」を意味する。国内およびアジアに対しては敗北を否認することによって「神州不滅」の神話を維持しながら、自らを容認し支えてくれる米 国に対しては盲従を続ける。敗戦を否認するがゆえに敗北が際限なく続く?それが「永続敗戦」という概念の指し示す構造である。今日、この構造は明らかな破 綻に瀕している。1945年以来、われわれはずっと「敗戦」状態にある。「侮辱のなかに生きる」ことを拒絶せよ。

目次

第1章 「戦後」の終わり(「私らは侮辱のなかに生きている」?ポスト三・一一の経験
「戦後」の終わり
永続敗戦)
第2章 「戦後の終わり」を告げるもの?対外関係の諸問題(領土問題の本質
北朝鮮問題に見る永続敗戦)
第3章 戦後の「国体」としての永続敗戦(アメリカの影
何が勝利してきたのか)

ISBN

978-4-7783-1359-3

著者情報

白井 聡
1977年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。日本学術振興会特別研究員等を経て、文化学園大学助教。専攻は、社会思想・政治学 





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