きょうこの頃



2015年8月10日(月)

 谷崎潤一郎『細雪 上巻』読了。

 ブログ参照 ; http://kohkaz.cocolog-nifty.com/monoyomi/2015/08/post-6796.html

 とにかく三女の征子の見合い話を中心にどこまでも話は繰り返していく。

 「こいさん」というのは大阪では末娘のことをさすらしい。

自分はこいさん(ー「こいさん」とは「小娘さん」の義で、大阪の家庭で末の娘を呼ぶのに用ひる普通名詞であるが、その時奥畑は妙子のことを「こいさん」と云ふばかりか、幸子のことを「姉さん」と呼んだ)
(15p)
 東京への批判。
彼女は相良夫人のやうな型の、氣風から、態度から、物云ひから、體のこなしから、何から何までパリパリの東京流の奥さんが、どうにも苦手(にがて)なのであつた。
彼女も阪神間の奥さん達の間では、いつぱし東京辯が使へる組なのであるがかう云ふ夫人の前へ出ると、何となく氣が引けてーと云ふよりは、何か東京辯と云ふものが淺ましいように感じられて來て、故意に使ふのを差控へたくなり、却つて土地の言葉を出すやうにした。大阪云へば丹生夫人までが、いつも幸子とは大阪辯で話す癖に、今日はお附合ひのつもりか完全な東京辯を使ふので、まるで別の人のやうで、打ち解ける氣になれないのであつた。成る程丹生夫人は、大阪つ兒ではあるけれども、女學校が東京であつた關係上、東京人との交際が多いので、東京辯が上手なことに不思議はないものの、それでもこんなにまで堂に入つてゐるとは、長い附合ひの幸子にしても今日まで知らなかつたことで、今日の夫人はいつものおつとりしたところがまるでなく、眼の使ひやう、唇の曲げやう煙草を吸ふ時の人差指と中指の持つて行きやう、ー東京辯は先づ表情やしぐさからああしなければ板に着かないのかも知れないが、何だか人柄が俄(にはか)に惡くなつたやうに思へた。91p




content2016
content2015
content2014