きょうこの頃



2015年5月17日(日)

 ポール・オースター『ブルックリン・フォリーズ』読了。
 久しぶりに読み終えた。
 柴田元幸の解説では、ちょっと軽いノリと言うことだが、登場人物が共感できるタイプの変人で感情移入できた。

 ブログ;http://kohkaz.cocolog-nifty.com/monoyomi/2015/05/post-1c54.html

「そのとおり。まずボー、これまでおおむね無視されてきた三つの作品の分析。『家具の哲学』
『ランドーの山荘』『アルンハイムの地所』。一つひとつ別々に見れば、どれも単に風変わりな、
エキセントリックな文章でしかない。けれど三つ一緒に見てみると、人間の渇望をめぐる緻密な
体系が見えてくるんです」
「どれも読んだことないな。聞いたこともないんじゃないかな」
「書かれているのは、理想の部屋、理想の家、理想の風景なんです。そこからソローに飛んで、
『ウォールデン』で述べられている部屋、家、風景を検討する」
「比較研究ってやつだな」
「ボーとソローを一緒に論じる人っていないんですよね。アメリカ思想の両極にいる二人だから。
でもだからこそ面白い。一方は南部の飲んだくれで、政治的には反動、物腰は貴族的、想像力は
幽霊のよう。もう一方は北部の絶対禁酒主義者で、思想は急進的、ふるまいは清教徒的に質素、
文章は透徹。ボーといえば人工性、真夜中の陰鬱な私室。ソローといえば素朴、戸外の輝き。そ
うした違いはあれ、生まれた年は入年しか離れていなくて、ほぼ同時代入と言っていい。
(p.17)

 著者のレイ・マンクによると、第一次世界大戦中に兵士だったあいだに『論理哲学論考』を書き終えたヴィトゲンシュタインは、これでもう哲学の問題はすべて解決した、もう哲学とは縁を切ったと考えた。そしてオーストリアの山村で教師となったが、この仕事にはおよそ不向きだった。
 厳しく、怒りっぽく、暴力的ですらあった彼は、年じゅう子供たちを叱っていて、学ぶべきことを学ばなかった子には体罰を加えた。型どおりに尻を叩くだけではない。頭や顔を、怒りを込めて殴りつけるのであり、何入かの子供が相当の傷を負うこととなった。この許すべからざるふるまいの噂が広まって、ヴィトゲンシュタインは教師を辞めざるをえなかった。何年もの時が過ぎた。私の記憶が間違っていなければ、少なくとも二十年の歳月が。いまやヴィトゲンシュタインはケンブリッジに住んでいて、ふたたび哲学を追究していて、いまや著名な、人々の尊敬を集める人物になっていた。ところが彼は、どういう経緯だったかは思い出せないが、精神的危機に見舞われ、神経衰弱に陥った。そして回復途上で、自分が健康を取り戻す道はひとつしかない、過去に戻っていってこれまでに傷つけたり怒らせたりしたすべての人に向かって謙虚に謝るのだ、と決意した。己のなかに巣くっている罪悪感を取り払いたい、心の疾しさを清算し新たに一からはじめたい、そう彼は思った。当然ながらこれは、彼をオーストリアの小さな山村へと連れ戻すことになった。かつての生徒たちはもうみんな二十代なかばか後半の大人になっていたが、狂暴な学校教師に関する記憶は、年月を経ても薄れていなかった。彼ら一人ひとりの家の玄関をヴィトゲンシュタインはノックし、二十年以上前の耐えがたい残酷さの許しを乞うた。うち何人かに対しては、文字どおりその前にひざまずいて頼み込み、自分が犯した罪を赦免してくれるよう懇願した。そこまで真摯な悔恨の情を示されれば、苦悩せる巡礼者を哀れに思って気持ちも和らぎそうなものだが、元生徒たちの誰一人としてヴィトゲンシュタインを許す気にはなれなかった。

(63頁)

「了解。物語ね。人形の物語……カフカの生涯最後の年、彼はドーラ・ディアマントに恋をしました。十九か二十歳の、ポーランドのハシッド派ユダヤ教徒の家庭から家出して目下ベルリンに住んでいる女性です。カフカの半分の歳ですが、プラハを去る勇気をカフカに与えてくれるのはーもう何年も前から彼がやりたいと思っていたことですー彼女の方です。そして彼女はカフカが初めて、そして唯一、一緒に暮らした女性になります。一九二三年の秋、カフカはベルリンにやって来て、翌年の春に他界しますが、その最期の何か月かは、おそらくカフカの生涯で一番幸福な日々です。健康も衰えていました。食糧不足、政治暴動、ドイツ史上最悪のインフレ、とベルリンの社会情勢もひどいものです。自分がもうこの世に長くいないことをカフカは確信しています。それでも彼は、幸福だったのです。
 毎日午後、カフカは公園へ散歩に出かけます。たいていはドーラも一緒です。ある日二人は、わあわあ泣き叫んでいる小さな女の子に出会います。どうしたの、とカフカが訊くと、お人形をなくしちゃったのと女の子は答えます。カフカはたちまち、人形の身に何があったかをめぐる物語を捏造しはじめます。『君のお人形は旅に出たんだよ』とカフカは言います。『どうしてわかるの?』と女の子は訊きます。『僕に手紙をよこしたからさ』とカフカが言うと、女の子は疑り深そうな顔になります。『その手紙、いま持ってる?』と女の子は訊きます。『ごめん、うっかり家に置いてきちゃったんだ、明日持ってくるよ』とカフカは言います。すごく真に迫った言い方なので、女の子はどう考えていいのかわからなくなってしまいます。この不思議なおじさん、ほんとにほんとのこと言ってるのかしら?
 カフカはまっすぐ家に帰って、手紙を書きにかかります。机に向かって書く彼をドーラは見て、自分の作品を書くときとまったく同じ真剣さと緊張をもって書いていることを目にとめます。女の子を適当にだます気はカフカには毛頭ありません。これは本物の文学的努力であって、きちんとやらねばと心に決めているのです。美しい、説得力ある嘘を思いつければ、女の子の喪失を、違う現実にすり替えることができるのだから。偽りの現実かもしれない、でも虚構の掟から見ればそれは真実であり信用できる何かなんです。
 翌日、カフカは手紙を持って公園に飛んでいきます。女の子は彼を待っています。まだ読み書きはできないので、カフカが読んであげます。人形は言います。申し訳ないんだけどあたし、いつも同じ人と暮らすのに疲れてしまったの。外へ出て、世間を見て、新しい友だちを作りたいの。
 あなたのこと愛していないわけじゃないんだけど、あたしには気分転換が必要だから、しばらく別々に暮らさなくちゃいけないの。そうして人形は、毎日手紙を書きます、何をしているか一つひとつ報告します、と書いていました。
 ここからが、胸がはり裂けそうなところです。一通目の手紙をわざわざ書いただけでも驚くべきことなのに、いまやカフカは、毎日新しい手紙を書くという任を自分に課したんです。それもただ、一人の小さな女の子を、ある日の午後公園でばったり会っただけのまったくの赤の他人の子供を慰めるために。いったいどういう人聞がそんなことをするでしょう?カフカはこれを三週聞続けたんですよ、ネイサン。三週間ですよ。この世に存在した最良の書き手の一人が、自分の時間を、じわじわ減ってますます貴重になっていく時問を犠牲にして、なくなった人形からの架空の手紙を書く。ドーラによれば、一文一文の細部に彼は痛々しいほどの注意を払い、正確で、滑稽で、人を夢中にさせる文章になるよう努めたんです。要するにそれは紛れもないカフカの文章でした。三週間のあいだ毎日公園に行っては、また一通女の子に読んで聞かせました。人形は大きくなって、学校に行き、知りあいもたくさん出来ます。女の子を愛していると何度も宣言しますが、生活がだんだん複雑になってきて、帰ってくるのは難しそうだということも言葉のはしばしから匂わせます。カフカは少しずつ、女の子の人生から人形が永久に消えてしまう瞬間に向けて彼女を準備させているんです。満足の行く結果を考え出そう、これが上手く行かなければ魔法の呪縛も破れてしまう、と彼は懸命に知恵を絞ります。いくつかの可能性を試した末、結局、人形を結婚させることをカフカは選びとります。人形が恋に落ちた相手の若者をカフカは描き、婚約パーティ、森の結婚式を語り、さらには人形と夫が現在暮らしている家まで描写してみせます。それから、最後の一行において、人形は長年の愛しい友に別れを告げるのです。
 その時点ではもう、言うまでもなく、女の子は人形がいなくても寂しくありません。カフカが代わりに別の何かを与えてくれたからであり、三週間が過ぎたころには、手紙のおかげで悲しみも癒されています。彼女には物語があるのです。物語のなかで生きる幸運、架空の世界で生きる幸運に恵まれた人にとって、この世界の苦しみは消滅します。物語が続くかぎり、現実はもはや存在しないんです」
(161−163頁 「カフカの人形」)

ブルックリン・フォリーズ

著者/訳者

ポール・オースター/〔著〕 柴田元幸/訳

出版社名

新潮社

発行年月

2012年05月

サイズ

331P 20cm

販売価格

2,300円 (税込2,484円)

内容紹介

幸せは思いがけないところから転がり込んでくる──傷ついた犬のように、私は生まれた場所へと這い戻ってきた──一人で静かに人生を振り返ろうと思ってい たネイサンは、ブルックリンならではの自由で気ままな人々と再会し、とんでもない冒険に巻き込まれてゆく。9・11直前までの日々。オースターならでは の、ブルックリンの賛歌、家族の再生の物語。感動の新作長編。

内容(「BOOK」データベースより)

傷ついた犬のように、私は生まれた場所へと這い戻ってきた―ブルックリンの、幸福の物語。静かに人生を振り返ろうと故郷に戻ってきたネイサンが巻き込まれる思いがけない冒険。暖かく、ウィットに富んだ、再生の物語。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

オースター,ポール
1947年、ニュージャージー州ニューアーク生まれ。若いうちから作家を志し、1970年代から詩、戯曲、評論の執筆、フランス文学の翻訳などに携わる。 1985年から86年にかけて刊行された「ニューヨーク三部作」で一躍脚光を浴び、以来、無類のストーリーテラーとして現代アメリカを代表する作家であり つづけている。フランス、ドイツ、日本などでは、本国アメリカ以上に評価の高い世界的人気作家である。ブルックリン在住

柴田/元幸
1954年生まれ。東京大学教授、翻訳家。ポール・オースター、リチャード・パワーズ、スティーヴ・エリクソン、レベッカ・ブラウン、スティーヴン・ミル ハウザー、バリー・ユアグロー、トマス・ピンチョンなどアメリカ現代文学の翻訳多数。自著『生半可な學者』で講談社エッセイ賞、『アメリカン・ナルシス』 でサントリー学芸賞を受賞




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