フランスの劇作家。ルーマニア人を父,フランス人を母として,ルーマニアのスラチナで生まれ,13歳までフランスで育ち,ブカレスト大学に学んだ後,1938年にパリに戻る。48年に英会話の教科書をもじって,日常的な形式論理の無意味さや会話による意思疎通の不可能,それに伴う言語の解体,その帰結としての精神の崩壊という現代人の不安を如実に舞台化した《禿の女歌手 La cantatricechauve》(1950)を書き,〈反戯曲〉と副題をつける。さらに,言葉や事物がひとり歩きや自己増殖を始めて人間を圧倒する恐怖を黒いユーモアのうちに描く一幕物《授業 La leぅon》(1951)や《椅子 Leschaises》(1952)などを発表し,50年代半ば以降いわゆる不条理劇の代表のひとりとして国際的評価を受ける。《無給の殺し屋》(1959)を転機に,主人公ベランジェを中心に展開する多幕物に進み,初期作品で失われていた物語性を回復し,《犀(さい)》(1958)の成功を経て《渇きと飢え》(1966)がコメディ・フランセーズで上演され,70年にはアカデミー会員に選ばれる。以後も優れた戯曲を書き続け,《死者の国への旅》(1981)は,多様な作劇術を駆使して,それまでの一貫した主題であった存在の不安と死の恐怖を内省的自伝的夢幻的次元で集大成した詩的作品として高く評価されている。このほか,演劇論集《ノートと反ノート》(1962)や短編小説集《大佐の写真》(1962)があり,劇界に大きな影響を残している。⇒前衛劇 安堂 信也