きょうこの頃



2014年6月25日(水)

 野呂邦暢随筆選『夕暮れの緑の光』読了。

 故郷・諫早への怨嗟。
 諫早弁。汚い方言。長崎弁はよいが。
 オ行の長音はウに訛る。

 古道具屋の広告に書棚を見たことがない。必要がないから。

 諌早出身の詩人・伊東静雄。
 九大生・庄野潤三の師。
 生家はもともとは家畜の仲買業で、その稼ぎで綿糸問屋を始めた。
 「かせやさん」。

 ブログ

 日記文学、「断腸亭日乗」、「馬琴日記」、「戦藻録」、『作家の日記』(大岡昇平)、「俘虜記」


日記

 その一

 日記をつけている。
 小学生の頃から身についた習慣である。もうかれこれ三十年になろうとしている。誰かにすすめられたというわけでもなくごく自然に書き始め、気がついたら三十年ちかく経っていた。
 日記をつけているか、ときかれたことは何回もある。そのつど否定してきた。隠さなくてもいいのに嘘をついたのは、日記をつけるということが何だか女々しいことのように思われたからである。日記にかぎらず文章を草するという行為には本質的に女性的な要素が含まれていると私は思っている。
 それはさておき、私の日記に何が書かれてあるかといえば至ってつまらないことばかりである。
その日に受取った手紙、出した手紙、来客、読んだ本、原稿を何枚書いたか、飼いネコの不妊手術に要したおかね、仕事の依頼すなわち枚数と締切り、などこれ以上散文的なことはないと思われる事だけで占められている。その日の天候もぬかりなく記録してある。妙なことに習慣になってしまうと、晴であったか曇であったか、雨も大雨か小雨か詳しく書かないと気になって仕方がないのだから妙だ。天気のことなんか日記に必ずつけるのは日本人だけではないだろうか。
 ×月×日、曇のち晴火曜日
 終日、仕事をせず、早目に寝る。
 という記述だけでも、日記の作者が読み返せばたちどころにその日、何をしたかを思い出すことが出来る。葉の落ちたカキの梢の上にひろがっていた灰色の空が見えてくる。仕事をするつもりで机の上に置いた原稿用紙がいつまでも白いのを、うっとうしいようなやるせないような感じで見まもっていた自分の姿が浮ぴあがる。
 万年筆が手に重かった。……重たき琵琶の、とうたった詩人のことを確かに私は考えていたのだ。この句があれば他に春をうたった詩がいくつあろうとも自分は要らない、といった人のことも考えた。蕪村はなんとおそるべき詩人であったことだろう。
 とはいうもののこれだけではいかにも内容のまずしい日記である。来し方行く末を思い、文学的抱負を語り、天下国家を憂え、季節の移り変りを描写し、知友の人となりを論じ、という具合であれば他人にとっても読みがいがあるだろうけれども、もしそういう日記を書き始めたら、肝腎の小説はどうなるだろう。小説がつまらなくなるどころか、一枚も書けなくなるのではないかという不安がある。ルナールはすぐれた作家ではあったが、彼の最良のものは日記にしかないと私は見ている。ルナールは日記という表現形式を愛するあまり、自分のすべてをその中につぎこんだ。本人もそう日記において告白している。折あるごとに私はルナールの日記を取り出して読む。ちっとも感傷的でない所がいい。(24-26p)

 とりわけわたしは有明海の風を好む。わたしの借家は本明川下流にあり、川沿いに堤防を下れば有明海の一部である諌早湾に出る。この河口を舞台にわたしはかつて、「鳥たちの河口」という小説を書いた。瀕死の渡り鳥と死滅寸前の海に捧げる挽歌のつもりであった、といえばいささかキザないい方になるだろう。河口の雰囲気はわたしに小説を書かせる力の源泉である。潮がひけば水の下から現れる干潟、潮が満てばその上に拡がる鏡のような海、海の上を群れ飛ぶ筑紫真鴨、シギ、チドリの巣である葦のしげみ。河口にたたずむごとにわたしは生活の疲れが癒え、再び自分の人生を生きようという思いを新たにする。水と泥と鳥と草原を眺め、空からそこに降りそそぐ始源的な光を浴びると、わたしは自分の内にある何物かが再生する感覚を味わう。河口だけでなく有明海そのものがわたしを活気づける力の源である。
 「筑紫よ、かく呼ばへば、恋ほしよ潮の落差……」と歌った北原白秋は柳川の人であった。
 このとき、詩人が呼びかけているのは「筑紫」という限られた地域ではないはずである。「鳥たちの河口」という小説を書いたとき、わたしは南総開発計画という名で呼ばれる諌早湾干拓に賛成する人からこういわれた。
 「ダイシャクシギの十羽や二十羽が死んだけんちゅうて、そいが何か、シャミセン貝が居らんごつなってもわしらはどぎゃんも(どうも)なか、カモの来んごとなれば、ノリヒビば喰い荒すこともなかけん、かえってうれしかたい、魚よか(より)鳥よか貝よか結局、人間が一番大事かとばい」。一見もっともな意見に聞こえる。これを聞いて深くうなずく人も多いだろう。
 そうなのだ、結局一番大事なのは入間なのだ。結論についてだけいえばわたしも同感である。しかし考えてもらいたい。カモがやって来るのは干潟にすむ魚貝をあさるためである。魚貝類が繁殖できるという干潟の特性がとりもなおさずノリ養殖を可能にするのだ。干潟の細かい泥粒は表面積が大きく、おびただしい藻類をくっつけているから、光合成によって酸素を発生させ、バクテリアの活動を助ける。大気を清め水質を浄化しているのである。諌早の緑が長崎や佐世保のくすんだ緑とくらべて、見た目にすがすがしい色艶を帯びているのは、三つの海がかかえた広大な干潟のせいでもあるだろう。自然は小さな鎖でつながった大きい輪のような物ではないだろうか。どれ一つとして、人間が勝手に取りはずしていいというものではない。干潟も鳥も魚貝も、固有の役割を果たしているので、その内の何かを破壊するとそのまま生態系という連環の消失につながる。わたしは今ありふれた常識を語っているつもりだ。現在、大都会に住んでいるのはネズミとゴキブリと人間だけといわれる。
 環境破壊が進めば、田舎の自然も、いつかはネズミとゴキブリどもの世界になる危険性がある。
文学はつまるところ人間について書くものだ。人間の宿命を問題にし追究する作業とわたしは理解している。
 宿命とは、人が生まれながらに負うているもの、額に刻印されたカインの徴のごときものである。いってみれば彼自身の内在的な本質である。それに対して公害とは外にあるものであり、人間の宿命とはなりがたい。個人にとって外在的なものは、文学の主題にはなり得ないとわたしは考え、それを今まで人に語って来もしたのだが、どうやらその考えを変えなければならなくなったようだ。
 人間も自然の一部であれば、環境破壊がただ今のように破壊的な速さで進んでいるとき、もの書きだけが個人の宿命のみにこだわって安閑としていることは出来ない相談である。
 「筑紫よ……」という言葉で、白秋が呼びかけたのは、有明海そのものであったのだろう。
  「筑紫よ、かく呼ばへば
  恋ほしよ潮の落差
  火照沁む夕日の潟……」
 「筑紫よ」とは、はたして有明海だけに対する呼びかけであろうか。わたしには、「世界」の総体を意味している言葉のように聞こえるのである。(128-130p) 


目次

東京から来た少女
装幀 
「漁船の絵」 
H書店のこと 
馬の絵 
小林秀雄集 
フィリップ  
花曜日 
日記 
菜の花忌 
伊東静雄の諌早
古書店主 
S書房主人
貸借 
引っ越し 
京都 
ブリユーゲル 
衝立の向う側 
アドルフ
LIRIKA POEMARO
澄んだ日
山王書房店主 
ボルヘス「不死の人」
The Family of Man
ODE MARITIME
一枚の写真から 
鳥・干潟・河口 
ある夏の日 
モクセイ地図 
川沿いの町で 
グラナダの水 
土との感応 
「筑紫よ、かく呼ばへば」 
シルクスクリーン 
諌早市立図書館 
友達
奇蹟
夕暮の緑の光 
小説の題 
「草のつるぎ」 
「海辺の広い庭」 
「鳥たちの河ロ」 
「諌早菖蒲日記」 
名前
フィクションによるフィクションの批評
クロッキーブック 
「ふたりの女」をめぐって 
最後の光芒 G三五一六四三七人の侍 
単独者の悲哀 昔はひとりでネコ 
力ーテン 
夕方の匂い 木の鉢 
田舎司祭の日記

解説 岡崎武志


夕暮の緑の光 野呂邦暢随筆選

大人の本棚

著者/訳者

野呂邦暢/〔著〕 岡崎武志/編

出版社名

みすず書房

発行年月

2010年05月

サイズ

227P 20cm

販売価格

2,600円 (税込2,808円)

夕暮の緑の光――野呂邦暢随筆選 《大人の本棚》 [単行本]
野呂 邦暢 (著), 岡崎 武志 (編集)
価格: ¥ 2,808


単行本: 240ページ
出版社: みすず書房 (2010/4/24)
言語: 日本語
ISBN-10: 4622080818
ISBN-13: 978-4622080817
発売日: 2010/4/24
商品パッケージの寸法: 19.4 x 13 x 1.8 cm


内容紹介
「一番大事なことから書く。
それは、野呂邦暢が小説の名手であるとともに、
随筆の名手でもあったということだ。
……ちょっとした身辺雑記を書く場合でも、
ことばを選ぶ厳しさと端正なたたずまいを感じさせる文体に揺るぎはなかった。
ある意味では、寛いでいたからこそ、
生来の作家としての資質がはっきり出たとも言えるのである」
(岡崎武志「解説」)

1980年5月7日に42歳の若さで急逝した諫早の作家野呂邦暢。
故郷の水と緑と光を愛し、
詩情溢れる、静かな激しさを秘めた文章を紡ぎ続けた。
この稀有な作家の魅力を一望する随筆57編を収録。
内容(「BOOK」データベースより)
端正な文体に秘めた人生への熱い思い。行間からほとばしる故郷九州の光と風。42歳で急逝、没後30年を経て再評価高まる作家の濃密な文業をここに贈る。

著者について
(のろ・くにのぶ)
1937年長崎市生まれ。長崎県立諫早高校卒。1965年、「ある男の故郷」が第21回文學界新人賞佳作入選。翌年発表した「壁の絵」が芥川賞候補となる。1973年、第一創作集『十一月 水晶』刊行。1974年、自衛隊体験をベースにした「草のつるぎ」で第70回芥川賞受賞。1976年、「諫早菖蒲日記」発表。1980年5月7日、42歳で急逝。著作に、短編集『海辺の広い庭』『鳥たちの河口』(1973)『一滴の夏』(1976)『ふたりの女』(1977)『猟銃』(1978)、中・長編『愛についてのデッサン』(1979)『落城記』『丘の火』(1980)、随筆集『王国そして地図』(1977)『古い革張椅子』(1979)『小さな町にて』(1982)、評論に『失われた兵士たち―戦争文学試論』(1977)、他多数。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
野呂邦暢
1937年長崎市生まれ。長崎県立諌早高校卒。1965年、「ある男の故郷」が第21回文學界新人賞佳作入選。翌年発表した「壁の絵」が芥川賞候補となる。1973年、第一創作集『十一月水晶』刊行。1974年、自衛隊体験をベースにした「草のつるぎ」で第70回芥川賞受賞。1976年、「諌早菖蒲日記」発表。1980年5月7日、42歳で急逝

岡崎/武志
1957年大阪生まれ。立命館大学卒。ライター、書評家

《大人の本棚》
野呂邦暢
夕暮の緑の光
野呂邦暢随筆選  
岡崎武志編
2010年5月7日 第1刷発行
2010年8月5日 第4刷発行

発行所株式会社 みすず書房
 〒113-0033東京都文京区本郷5丁目32-21 電話03-3814-Ol31(営業) 03-3815-9181(編集)     
http;〃www.msz.co.jp     
本文組版 キャップス
本文印刷所 平文社
扉・表紙・カバー印刷所 栗田印刷
製本所 誠製本

 著者略歴(のろ・くにのぶ)
1937年長崎市生まれ,長崎県立諌早高校卒,1965年,「ある男の故郷」が第21回文學界新人賞佳作入選,翌年塘表した「壁の絵」が芥川賞候補となる.1973年,第一創作集『十一月 水晶」刊行.1974年,自衛隊体験をベースにした「草のつるぎ」で第70回芥川賞受賞.1976年,「諌早菖蒲日記」
発表、1980年5月7日.42歳で急逝、著作に,短編集『海辺の広い庭」「鳥たちの河口』(1973)「一滴の夏』(1976)「ふたりの女」(1977)『猟銃』〔19781,中・長編「愛についてのデッサン」(1979)『落城記」『丘の火封(1980),随筆集「王国そして地図』(197の丁古い革張椅子」(1979)『小さな町にて』(1982),評論に『失われた兵士たちー戦争文学試論』 (1977)、 他多数,

 編者略歴(おかざき・たけし〉
1957年大阪生まれ.立命館大学卒.ライター,書評家.
主な著作に「文庫本雑学ノート』(1998)「気まぐれ古省店紀行』(2006)「読書の腕前」(2007}「新・文學入門』(山本善行との共署、2008)『雑談王 岡崎武志バラエティブック』(2008)「あなたより貧乏な人」(2009}他多数.




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