きょうこの頃

  

2014年3月23日(日)

 『他者の苦しみへの責任』読了。
 読みにくい訳だなと思いながら一気に読んでしまった。
 訳は悪くなくて、原文が無理矢理哲学的に書こうとしたり引用が多すぎたりしたせいかもしれない。
 ブログ参照。http://kohkaz.cocolog-nifty.com/monoyomi/2014/03/post-3c1f.html

 本書に収録した論文はそれぞれ、歴史的・文化的背景の異なるさまざまな苦しみについて論じている。ヴイーナ・ダスは、インドの反植民地運動において、男性たちが、政治的計画を表わす媒体として女性の肉体を流用し、壮大な国家像を築きあげたことを記述している。独立前夜の一九四七年におこなわれたインド分割は、二〇世紀のインドにおける最大の事件である。従来、この劇的な事件にかんする歴史は、二つのことを前提にして書かれてきた。その一つ目は、「ムスリム連盟」が、「二国家.説」  ヒンドゥー教徒とイスラム教徒は二つの異なる社会集団に属しており、そのために、「つの国を築くことはできないという説  にもとついて、分割を推進しようとしていたという前提である。
二つ目は、「インド国民会議」は国家の統一を望んでいたが、英国が、権利と自由をインドに譲渡する唯一の条件として分割を求めたために、その要求に屈せざるをえなかった、という前提である。.しかし、最近の歴史研究では、これらの前提が疑問視されている。今日では、ムスリム連盟と国民会議の双方に加えられた圧力とそれに反対する圧力はもっと微妙なものであったことが、明らかになっている。ムスリム連盟と国民会議の動きの背後にあった真の動機は、公にされているものとはかなり異なっていた。最近のほとんどの研究によれば、分割にかんする国民会議の責任は、従来の歴史で認められてきたものよりはるかに大きい。
 分割の政策が改めて注目されはじめたのは一九八○年代のことであるが、一般の人々の体験が社会科学で本格的に取り上げられるようになったのは、一九九〇年代になってからである。しかしながら、美術、文学、映画においては、分割とそのトラウマが、多くの重要な作品の主題になってきた。一般大衆にとっては、分割の前の期間は、とくにインド北部と東部では、大規模な市民の対立、暴動、民衆運動によって特徴づけられている。地方行政機関は、完全に機能を失っていた。推定によれば、この国内暴力による死者は、国境の両側で二〇万人から二五万人にのぼる。一九四九年十二月のインド憲法制定会議で、ヒンドゥー教徒あるいはシーク教徒の女性三万三千人が、イスラム教徒によって拉致されたことが述べられ、パキスタン政府は、イスラム教徒の女性五万人がヒンドゥー教徒あるいは(G〜H)

  アサドは、「世界人権宣言」の根底にある理念には文化や歴史による制約ーそれが宣言の普遍的妥当性を阻害するかどうかはさておきーがあること、また、国民全体に大量の苦痛と苦しみを与えることになる戦争等については何も言わないで、残酷で非人間的だと見なされる刑罰のみを禁止しようとすることには、根本的な偽善があることを、強く主張する。その偽善性は、「文明社会の正義と人間性の基準」を、苦しみを軽減し生をより耐えやすいものにする手段としてよりも、むしろ、新しい種類の規律をもたらすものとして、被植民者たちに押しつける植民地主義の根底にもある。植民地主義において、苦しみは社会の「進歩」のために役立つはずのものであった。自由主義的社会契約においては、痛みやトラウマをもたらす行為は、国益のために法的に是認されうるし、現実に是認されている。国益は、社会的価値の頂点として、自由主義的近代性を特徴づけるものである。アサドは、ほとんどあらゆる社会で、ある種の社会的な苦しみを持続させている為政者の政策を理解するためには、それぞれの社会の政治プロセス、その社会が目指すもの、その政策間に生じる矛盾を、一つ一つ検討すべきだと考えている。彼はまた、個人同士の私的な関係を「取り締まる」ことに対して自由主義の考え方がもつ意味を考察する。そして、そこにも相反する価値観と実践の偽善性が見られることを、彼は示す。したがって、拷問と社会的な苦しみが存在するのは、近代性の欠如のためではなく、近代的な行政組織の、国益を守るための理念や技術や戦術のためである。しかし、その近代化政策が、文化的な抑圧に対する現.地人の「防衛」を、利己的なものとして問題視するために、われわれは、保守と変化の象徴的・政治的計画に悲劇と同時にアイロニーを見いだすのである。(IE)


死の再構築

 人工呼吸器が開発されたことによって、死とは何かということを明らかにする必要が生じ、いろいろな国際フォーラムが開かれた。一九六六年にロンドンで開催されたチバ財団(CIBA)のシンポジウムの出席者も、一九六八年にシドニーで開催された世界医師会会議の出席者も、自分たちは、新                                    (11)
しい医療テクノロジーに対応するために、史上はじめて死を定義するのだと考えていた。しかしながら、マーティン・パーニックの『墓場からの生還』(Back from th Grave)によれば、人はいつ死ぬのかという議論は決して新しいものではなく、医学上の新しい発見がなされるたびに繰り返されてきた 109頁

 米国で最初に死の再定義を試みたのは、ハーヴァード大学医学部に特別に設置された委員会である。
 これが実現したのが一九六七年に世界初の心臓移植が南アフリカでおこなわれてから間もない]九六八年のことであったのは特筆に価する。委貝会が一方的な宣言として出した結論は、「不可逆的昏状態」にあり「脳死症候群」が認められる人間は、死んだものと判断すべきであるというものだった。
それまでは慣例的に、心臓が拍動を停止したときを医学的な死としていた。しかし、人工呼吸器がB常的に使用されるようになると、問題が起きた「心臓は、脳の統合機能が停止した後も、人工呼吸器によって拍動しつづけるからである。委員会は、死を明確に定義する必要がある理由として、@「蘇生措置や延命手段の進歩によって、患者や家族の負担が増し病院資源が圧迫されていること」A「旧来の死の判定基準は、移植用の臓器を獲得するうえで混乱を招く可能性があること」の二点を挙げている。このことからもわかるように、「脳死症候群」の概念を医学的な人の死として定義しようとする試みは、最初から、人間の臓器の獲得と結びついていたのである。一時、この問題にかんする論争が、メディアと世間の注目を集めた。
 一九七0年代の初めに、「脳死症候群」の概念をめぐるさまざまな裁判が起こった。代表的な例として、一九七一年にヴァージニアで起きた訴訟事件がある。ドナー患者の家族が、患者が死亡したのは移植医のせいであるとして提訴し、陪審員評決によってこの申し立てが却下された事件である。その後も、患者の死は医師による殺人だとする訴訟がいくつか起こされたが、医師に有罪判決が下った 例はない。その頃、医学界では、医師による脳死判断を確実なものにす.るにはいかなる検査をおこな うべきか、医師を医療過誤訴訟から守る役割を誰が果たすべきか、という問題が検討されていた。国家レベルでは、死の定義を検討するための審議会「大統領諮問委員会」が設けられた。そこで徹底的な討議がおこなわれた後、ついに一九八一年、「死の判定にかんする統一法」
が制定されることになった。ただちに米国医師会と米国法律家協会がこの法案を支持し、その後、大半の州議会がつぎつぎにこの法案を採用した。死の定義が法制化されるのは、史上はじめてのことであった。
 この法案に対して、多くの医師、哲学者、神学者が(一般メディアをもちいずそれぞれの専門誌をとおして)反対意見を表明した。「大統領諮問委員会」は、それに対抗し、彼らが「時代遅れ」だと考える死の判定基準を時代に即した合理的なものに改め、それを法制化することに決めた。これも類例のないことであった。委員会は、「全脳死」すなわち「あらゆる脳機能の不可逆的消失」を死の法的定義にすることを提案した。その提案では、「全脳死」と「遷延性植物状態」が厳密に区別されている。
「遷延性植物状態」というのは、カレン・アン・クインランやナンシi・ベス・クルーザンに見られたように、上位脳の機能が不可逆的に消失しても脳幹が機能し続けている状態である。それまでの 114〜115頁

 日本では、人間社会と自然界のあいだには明確な境界がない。先祖は、日常の世界で存在しつづけ、ついには生きている自然の一部になって、人間社会と自然界と霊的世界とをつなぐ架け橋になる。先祖供養は儒教に由来する思想であるが、哲学者の大峯顯は、日本古来の神道に内在するアニミズムが先祖を祀るという慣習を生みだしたと考えている。このアニミズムは、現世主義的な島国である日本特有のものであり、外国の人々にはほとんど理解できない。皇室や国家主義と結びつく神道は、今日の自由主義的な考えをもつ多くの日本人にとっては、非常に微妙な存在である。大峯は、そのアニミズムは死者に対する日本人の態度に影響を与えるが、それには、生と死の境界を定義しなおすという課題に取り組むための深遠な理念が欠けている、と考えている。大峯は、多くの知識人たちと同様に、脳死にかんする議論には正統的な宗教はかかわらせたくないと思っているように見える(ただし彼は精神性自体は必ずしも排除しない)。
 大峯に見られるような社会的な死にかんする雪口説や実践は、日本が優れて合理的な社会であることを示したいと望んでいる人々に懸念をいだかせる。なぜならば、そのような雷説は、(先祖の概念を含む)「伝統」や「古い道徳秩序」が近代後期の日本で健全に機能していることを示したいと望んでいる内外の論者たちに、格好の材料を提供するからである。
 臓器移植について論じるとき、多くの人々が指摘するのは、日本では贈答の習慣が人間関係や社会秩序を支えている、ということである。名前を知らないドナーから臓器をもらうことに抵抗をおぼえるのは、一方的な贈与は、後ろめたい気持ちと、間違っているという感覚をいだかせるからである。
さらに私が話を聞いた何入かは、臓器移植と聞いただけでぞっとすると述べている。彼らにとっては、体の一部を他人同士でやりとりして自己と他者を混淆するのは、「自然」にそむく許しがたい行為なのである。このような考えは、医学者たちのあいだにも見られる。ある著名な免疫学者は、移植技術を、「自己」と「非自己」を結合するテクノロジーだと述べている、自己と他者との混渚の忌避は、末期の昭和天皇に対する処置にも表れている。大量の輸血がなされたとき、その血液はすべて皇族たちによって提供されなければならなかった。近親者からの臓器移植については、ほとんど反対はみられない。すなわち、人々を落ち着かない気持ちにさせるのは、家族という自然な結びつきをこえた他者との不適切な混淆なのである。
 妊娠中絶は、多くの日本人に受けいれられている。不幸なことではあっても、時には必要な処置だと考えられているのである。しかし、胎児の組織を研究や移植にもちいることは許されていない。多くの人が、胎児は生きており、妊婦の体と切り離せないものだと考えている。しかし、胎児は社会的・精神的に独立した存在ではないので、完全な入間ではない。それにもかかわらず、胎児の組織が不適切にもちいられることに対して多くの日本人が懸念をいだいている。ただしそれは脳死者にかんするものほど大きな問題にはなっていない。人為的に胎児を死なせることについては、とくに女性たちが懸念をいだいている。そのために、流産させた胎児の魂をしずめるための供養が日本全国でおこ なわれている。このように日本では、生まれる前であれ後であれ、人為的に突然もたらされる死は、自己と他者を混淆することと共に、慎重な対応を要する事柄なのである。しかしながら、死者を大切 136〜137頁


他者の苦しみへの責任
ソーシャル・サファリングを知る
SOCIAL SUFFERING

著者
アーサー・クラインマン
著者
ジョーン・クラインマン
著者
ヴィーナ・ダス
著者
ポール・ファーマー
著者
マーガレット・ロック
著者
E・ヴァレンタイン・ダニエル
著者
タラル・アサド
訳者
坂川雅子
解説
池澤夏樹


貧困・難民問題など、社会的につくられる苦しみをグローバルに捉える際、統計の網にかからない実相を捨象するのはあまりにたやすい。数値化の威力ばかりが叫ばれる時代にこそ、「質的な」側面へのアプローチが切実に求められる。
収録の論考は、ハイチにエイズを蔓延させる社会構造(ファーマー論文)、移民が民族と国家を失うプロセス(ダニエル論文)など、社会的につくられる苦しみについての当事者自身による「表現」を掘り起こしつつ、同時にそれをグローバルな視座から位置づけている。「ケヴィン・カーターの写真と同じように「他者の苦しみへの責任」は何らかの形で可視化されなければならない。商品になってしまうことも承知の上で、より強く訴える表現手段を用意しなければならない。この論集もそういう意図から編まれたものだ。」(「解説」より)
特に注目してほしいのは、社会的な苦しみにも「トリアージ」が必要だという、最貧困層の人々の支援を視野に入れたP・ファーマーによる訴えである。本書中でも苦しみに統一的基準を持ち込むことへの懸念を語るクラインマンらの見解との間に緊張が生じており、社会的苦しみをめぐる議論の焦点であることが見てとれる。この問題への定見をもつためにも本書は必読といえるだろう。
目次


序論(アーサー・クラインマン/ヴィーナ・ダス/マーガレット・ロック)

●遠くの苦しみへの接近とメディア●
苦しむ人々・衝撃的な映像――現代における苦しみの文化的流用(アーサー・クラインマン/ジョーン・クラインマン)

●声なき者の表現を掘り起こす/インド・パキスタン●
言語と身体――痛みの表現におけるそれぞれの働き(ヴィーナ・ダス)

●トリアージの必要を問う「極度の」苦しみ/ハイチ●
人々の「苦しみ」と構造的暴力――底辺から見えるもの(ポール・ファーマー)

●医療テクノロジーと人権/日本●
「苦しみ」の転換――北米と日本における死の再構築(マーガレット・ロック)

●移民の苦しみのありか/スリランカ・英国●
悩める国家、疎外される人々(E・ヴァレンタイン・ダニエル)

●抑圧装置の解体●
拷問――非人間的・屈辱的な残虐行為(タラル・アサド)


解説(池澤夏樹)
訳者あとがき
原著の収録論文
著訳者略歴

アーサー・クラインマン
Arthur Kleinman

1941年生まれ。ハーバード大学教授(the Esther and Sidney Rabb Professor)、精神科医。ハーバード大学アジア・センター長。2004-2007には、ハーバード大学文化人類学部門の部門長を勤めた。 ...続きを読む ?
※ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。
ジョーン・クラインマン
Joan Kleinman

1939年生まれ。収録論文の執筆時、ハーバード大学文化人類学部門のリサーチ・アソシエイト。 ...続きを読む ?
※ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。
ヴィーナ・ダス
Veena Das

1945年生まれ。ジョンズ・ホプキンズ大学、文化人類学教授。 ...続きを読む ?
※ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。
ポール・ファーマー
Paul Farmer

1959年生まれ。ハーバード大学医学校、国際公衆衛生・社会医療部門長、医療人類学教授。医師としてボストンのブリガム・アンド・ウイメンズ病院に勤務。 ...続きを読む ?
※ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。
マーガレット・ロック
Margaret Lock

英国ケント州生まれ。カナダ在住。マッギル大学医療社会学部・文化人類学部教授。カナダ・ロイヤル・ソサエティ会員。 ...続きを読む ?
※ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。
E・ヴァレンタイン・ダニエル
E. Valentine Daniel

コロンビア大学文化人類学部門教授。自身スリランカ生まれのタミル人であり、南インドおよびスリランカをフィールドとして、社会的暴力と難民問題、プランテーションにおける労働問題に関連する苦しみの研究に従事。 ...続きを読む ?
※ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。
タラル・アサド
Talal Asad

1933年サウジアラビア・メディナ生まれ。ニューヨーク市立大学人類学教授。オックスフォード大学でPh. D.取得(人類学)。 ...続きを読む ?
※ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。
坂川雅子
さかがわ・まさこ

1934年、東京生まれ。東京大学大学院(英語・英文学専攻)修士課程修了。桐朋学園大学教授、長野県看護大学教授を経て、現在は翻訳家。 ...続きを読む ?
※ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。
池澤夏樹
いけざわ・なつき

1945年北海道帯広市に生まれる。1987年『スティル・ライフ』で中央公論新人賞及び第98回芥川賞を、1993年『マシアス・ギリの失脚』で谷崎潤一郎賞受賞。『嵐の夜の読書』(みすず書房)他、著書多数。 ...続きを読む ?
※ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。
書評情報

釈徹宗<:週刊文春2011年4月21日号>
堂目卓生(経済学者)
<2011年5月8日(日):読売新聞>
河合香織(ノンフィクション作家)
<:週刊図書館2011年6月11日号>
小西聖子<2011年5月29日(日):毎日新聞>
斎藤貴男(ジャーナリスト)
<2011年7月10日(日:信濃毎日新聞>

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