きょうこの頃



2013年9月22日(日)

 岡留安則「『噂の真相』25年戦記」読了。

 宗像紀夫もと特捜部長のスキャンダル。
 東京高検則定検事長のスキャンダル。則定衛(のりさだ まもる、1938年7月21日 - )
 森総理の学生時代の売春逮捕歴。
 3人とも大手を振って活躍している。


「岡留氏が『マスコミ評論』の編集長をやっていた当時を思い出す。村上龍の芥川賞受賞の背景をスッパ抜いた私の記事をどこも載せてくれず、最後に持ち込んだのが岡留氏の雑誌だった。タブーの問題であればあるほど、元気よく掲載に踏み切ってくれるのが、岡留氏の当時からの一貫したポリシーである。だから『マスコミ評論』を出た岡留氏が、『噂の眞相』を立ち上げた際も、私たちは快く株主となって応援することを決意した」
(25頁)

▼『週刊文春』発売禁止処分が投げかける言論の危機を問う。
『噂の眞相』休刊号にあたる04年4月号が発売されてちょうど1週間後の3月17日、『週刊文春』の発売禁止仮処分命令が東京地裁によって出された。この仮処分が出された時点では、すでに『週刊文春』は取次会社への搬入を終えており、結果的には出荷前だった3万部のみが販売中止の対象となった。仮処分の根拠とされたのは、田中真紀子氏の長女がわずか1年で離婚していたという記事がプライバシー侵害にあたるというものだ。
 これまでにも発売禁止仮処分の申し立てを裁判所が認めたケースがなかった訳ではないが、大手出版社が発行する週刊誌に対して命令が出されたのは最初のケースだった。政治家の長女の離婚はプライバシーであり報道してはいけないという裁判官の判断には大いに問題があるが、それはひとまずおくとしても、この仮処分がメディア界、特に雑誌ジャーナリズムに与えた衝撃は大きかった。憲法で保障された表現・出版の自由よりも事前検閲を優先する裁判官が遂に登場したということで、メディア規制の流れが総仕上げに入ったといった感があった。
 こんな形での事前検閲が簡単に認められるようになれば、先に法令化された個人情報保護法や名誉殿損裁判における損害賠償高額化とあわせて考えても言論メディアにとっての明らかな暗黒時代への突入である。タイミングよくこうしたメディア規制に抗議するかのように休刊に踏み切った『噂の眞相』に対しても取材やコメント依頼が相次いだ。雑誌としては前代未聞ともいえる黒字休刊の理由に関して取材ラッシュがそろそろ終わりに近づいていたところに、この言論危機の時代を象徴する事件の勃発である。『噂の眞相』の休刊とも関係するような言論危機の発生により、筆者も再び取材攻勢の渦中へと巻き込まれる事態となった。前述した「週刊誌記者匿名座談会」の存在によって、『週刊文春』にいくらシカトされても、ここは立場を 

(124-125頁)
▽文壇や論壇で実力をもつ大御所作家がタブー化される図式。
 さらに権威主義的な意味でタブー化していったケースもある。ノーベル賞作家の大江健三郎氏や文壇ボスの代名詞をもつ大御所の丸谷才一氏、カリスマ評論家の吉本隆明氏などがこの代表格だろう。もしこれらの大御所を批判すれば、当人はもとより彼らの側近や影響下にある作家などから反発を買い、最悪の場合には執筆拒否という事態になりかねない。またこうした批判に対し、「版権を引き上げる」などという「最終兵器」ともいえる切り札を持ち出される可能性だってある。かつて灰谷健次郎氏が、新潮社が発行する雑誌の少年犯罪に関する記事の扱いを批判して、同社から版権を引き上げたケースもあった。こういう事態を避けるために、大方のメディアにとって作家・文化人批判は基本的に自主規制の対象であり、暗黙のタブーとなつているのだ。
 そして文壇の権威に関するタブーの背景には、文壇イベントである文学賞に対する政治力学や利権分配ともいうべきシステムがある場合も多い。その代表的存在として、文壇の実力者・丸谷才一氏の例があげられるだろう。丸谷氏は90年代初めから主要文学賞の選考委員を多数つとめており、賞じたいが欲しい若手作家だけでなく選考委員という文壇内での名誉職や利権の配分に食い込みたい中堅作家までが、次々と彼の周辺に集まっていったといわれる。いわゆる文壇の実力者を中心とした文壇ヒエラルキーとでもいうべき存在で、江藤淳氏などもこのケースに入るだろう。特に丸谷氏の場合には、出版社から新聞社の経営トップにまで大きな影響力をもっていたため、93年に出版された丸谷氏の話題作『女ざかり』を批判した若手文芸評論家の冨岡幸一郎氏に対し、出版社経由で圧力がかけられるという事件もあった。この一件は『噂の眞相』でも取り上げたことがあるが、これに類する売れっこ作家による有形無形の圧力は時
(146-147頁)

 週刊誌スキャンダリズムの老舗でもあり、スタンスとしては保守系タカ派の傾向をもつ『週刊新潮』ですら、共産党シンパながらも流行作家だった故・松本清張氏に配慮して一切の批判をやらなかった。タカ派系週刊誌の『週刊新潮』を発行する立場に立てば、このドル箱作家は「好ましくない思想の持ち主」として批判の対象だったはずだ。しかし、老舗文芸出版社である新潮社にとっては、商業主義の論理からこの作家のスキャンダルや批判は書けなかったのである。大御所の松本清張氏を実名で正面切って批判した唯一の例外は、筆者が記憶する限り、故・竹中労氏ぐらいのものだった。それくらい権力・権威を持っていたのである。
 こうした文壇タブーの中、『噂の眞相』では創刊以来、数々の文壇スクープを独走的にものにしてきた。村上龍、村上春樹、五木寛之、沢木耕太郎、遠藤周作、赤川次郎、渡辺淳一、林真理子、山田詠美、吉本ばなな、柳美里などほとんどの売れっこ作家諸氏に関する記事を取り上げた。作家によっては、編集部が直接抗議を受けたり、他メディアで反論されたりもしたが、『噂の眞相』の文壇もの記事というジャンルが定着するうちに、「『噂の眞相』に書かれたら一人前」といった声や「自分たちも表現者として仕事をしているのだから、批判されても当然」といったまっとうな意見も多く聞かれるようになった。また『隙の眞相』の休刊が決定してからホッと胸をなで下ろし「これで、ゴシップやスキャンダル記事を書く雑誌はなくなった」と喜んだ作家もいた。その反面、「今後は文壇記事が読めないのが寂しい」と当の文壇関係者にいわれたこともあった。休刊直後に自殺した鷺沢萠氏、その後の森村桂氏の自殺の真相についても、その理由についてよく質問を受けた。このことは、休刊になったことで、文壇タブーに挑戦し続けてきた『噂の眞相』の存在価値があらためて再認識されたということかもしれない。
 文壇ものを取り上げてきて、印象的だった作家のケースについてひとつだけ書いておきたい。
それは創刊から4年が経った83年12月号に掲載した作家・生島治郎氏(故人)の再婚スクープ写真である。流行作家の小泉喜美子氏(故人)と離婚して10年ほど経っていた生島氏が、韓国出身の女性と極秘再婚していたことをキャッチし、自宅に張り込み取材を敢行した上で、生島夫人の写真撮影に成功してグラビア頁でスクープとして掲載した。この記事が出た直後、生島氏本人は激怒していたというが、『噂の眞相』としては「激怒するのではなく、作家としてこの再婚の話を自ら作品として書くべきではないか」と氏に誌面でアピールしたことがあった。
それから数年後に生島氏が作品として発表したのが『片翼だけの天使』だった。
 これは川崎のソープ嬢だった韓国人女性に恋をした作家が結婚に至るまでを描いた生島氏自
(148-149頁)

▽付き合いのある文化人や執筆者たちとのスタンスの取リ方。
『噂の眞相』イズムとして書きとめておきたいのが、時に協力者でもあったり、あるいは過去にそうであった作家や評論家、ノンフィクション作家たちとの付き合い方である。「『噂の眞相』は時に付き合いがあってもバッサリ斬る、義理もない非情な雑誌」といわれたこともあった。確かに、そうしたケースは実際に何回かあったし、そのことじたいは否定しない。
 例えば、テレビのコメンテーターとしても活躍している『日刊ゲンダイ』の二木啓孝氏、評論家の高野孟氏、ノンフィクションライターの猪瀬直樹氏、生江有二氏といった人たちもかつては『噂の眞相』の執筆協力者だった。本多勝一氏もそうした一人に入るだろう。だが、『噂の眞相』的にいえば、あえて批判に踏み切った理由はそれなりにはっきりしているのである。一言でいえばこうした人たちに対して、それぞれ事情は微妙に違うものの、ジャーナリストとしてのスタンスに疑問を感じたためである。『噂眞』イズムとしては〈いかがなものか〉という認識で批判に踏み切っただけの話である。基本的に権力に擦り寄ることに痛痒を感じないような臆面もないジャーナリストや胡散臭い人物と交友があってそれをヨイショするような人物は、批判すべきだというのが『噂の眞椙』の認識であり」雑誌づくりのスタンスだった。
 ジャーナリズムは常に相互批判の関係にあるべきで、いくら協力者だからといって馴れ合いはメディアのあり様としてはマイナス材料にしかならないという『噂眞』イズムに基づく対処法を実践し続けただけの話である。そのことによって、怒りを買って絶縁関係になった人もいれば、その後に相互理解が進んで、関係性が復活した人もいる。『噂の眞相』が記事を書いたことで抗議してきた人の中には「同業者同士じゃないか」といってきた出版社の経営者や「同県人じゃないか、仲良くしよう」と懐柔してきた経済誌の編集長がいたのには驚かされた。そんな感覚こそがメディアをダメにしていく元凶であり、筆者がもっとも忌み嫌ってきたことである。
 こうした『噂の眞相』のスタンスからいえば、もともと創刊時からのレギュラー的な協力者で、その後も休刊に至るまでつかず離れずの付き合いがあった田原総一朗氏などは興味深い対象だった。『週刊新潮』が「キャスター誕生! 田原総一朗」として短期集中連載のトップバッターとして取り上げたくらいだから、大物には違いないからだ。
 筆者が田原氏に編集者として初めて仕事を依頼したのは、まだテレビ東京が東京12チャンネ
(170-171頁)

▽数多くの警察・検察との刑事告訴をめぐる闘いの歴史と教訓。
 警視庁スキャンダルは新聞も大手週刊誌も何らかの形での癒着関係があるため、『噂の眞相』の独壇場だった。実際に警察トップの首を飛ばすようなスクープを数多く手がけてきた。『噂眞』休刊後、元オウム真理教のメンバー4人を一斉逮捕したものの、証拠を固めることができずに全員釈放で大失態を演じた国松孝次元警察庁長官銃撃事件での逮捕劇もあった。この銃撃事件の現場となった高級マンションを、国松長官が抵当権もつけずに現金で買っていたという事実を事件発生直後にスッ破抜いたのも『噂の眞相』だった。いくら警察庁長官にまで昇りつめた人物とはいえ、あれだけの物件をキャッシュで買ったというのはどう考えても不可解である。もちろん『噂の眞相』としても独自取材はやったし、いくつかの疑惑を解明するヒントは出てきたが、その理由を活字化するまでの確実な証拠は入手できなかった。本来ならば、警察の捜査に期待したいところだが、典型的な階級社会である警察において、全国警察のトップを相手に部下たちが捜査できるはずがない。国松氏がこの銃撃事件によって、瀕死の重傷を負ったことは同情に値するとしても、疑惑は疑惑である。その後、長官を退任した国松氏はスイス大使に天下った。結局、この疑惑はどのマスコミもまったく追撃せず、今もって謎のままである。
(191頁)

『噂の真相』25年戦記

集英社新書 0275

著者/訳者

岡留安則/著

出版社名

集英社

発行年月

2005年01月

サイズ

252P 18cm

販売価格

735円

本の内容

オカドメ・スキャンダリズムのこれでウチドメ。
’79年に始まった「噂の眞相」のスキャンダリズムは、’04年の休刊をもって終わった。25年にわたってその陣頭指揮をとった名物編集長・岡留安則による満身創痍の内実を語った時代の風雲録である。

目次

第1章 『噂の真相』揺籃篇
第2章 タブーに向けての躍進篇
第3章 休刊宣言騒動裏事情篇
第4章 スキャンダリズム講義篇
第5章 『噂の真相』イズム闘争篇
第6章 「我カク戦ヘリ」歴史・戦歴篇

ISBN

978-4-08-720275-5

著者情報

岡留 安則(オカドメ ヤスノリ)
1947年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業後、『マスコミ評論』を創刊。その後、79年『噂の真相』を編集発行人として立ち上げ、二五年間、一貫してスキャンダリズム雑誌として、独自の地歩を築く。数々のスクープを世間に問うが、04年3月をもって黒字休刊となる 





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