きょうこの頃



2013年8月28日(水)

 浅田次郎『終わらざる夏』読了。
 重いテーマだった。




本書には、"満洲旧'支那"という言葉が頻出します。満洲は現在の中国東北部を指し、支那は中国に対する侮蔑的なニュアンスのある当時の呼称です。ともに現在は使われていませんが、この作品では戦時中という時代背景をふまえ,あえで使用していることをお断りします。(編集部)

初出誌 「小説すばる」2008年6月号〜2009年10月号
本書は2010年7月、集英社より上下巻で刊行されました。
文庫化にあたり、上中下巻として再編集いたしました。

地図作製 テラエンジン

SEXUS by Henry Miller
Copyright 1949 by Henry Miller.
All rights reserved.
Excerpts translated and published by arrangement with
Agency Litterarire Hoffman, Paris for and on behalf of the Estate of
Henry Miller through Tuttle-Mori Agency, Inc Tokyo

解説         梯久美子

 占守島は、知られざる悲劇の島である。それは、日本軍が玉砕という名の全滅を遂げたアッツ島やサイパン島、硫黄島などの島々とも、また多大な民間人の犠牲を出した沖縄とも違った種類の悲劇であった。
 千島列島(クリル諸島)の先端に位置するこの島にソ連軍が攻め込んできたのは、玉音放送から三B後の昭和二十年八月十八日未明。日本がポツダム宣言を受諾した後になって、新たな戦闘を仕掛けてきたのである。
 日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連軍が、八月九日に満洲に攻め込んだことはよく知られている。関東軍との戦闘は八月十五日を過ぎてもすぐには止まらなかったが、これと占守島の戦いとはまったく意味がちがう。本書の中で、少年戦車兵の中村末松が「止めて止まらぬ戦争と、終わってから仕掛けてくる戦争とでは、同じ戦争でもまるでちがうと思うのであります」と言うシーンがあるが、まさにそのとおりで、ソ連は領土的野心から、日本が無条件降伏をしたことを承知の上で占守島に侵攻してきた。連合軍との問で正式な降伏文書の調印が行われる前に、戦闘↓占領という既成事実を作っておこうとしたとしか考えられない軍事行動である。
 これが占守島の悲劇のひとつ目で、日本軍は、終戦の詔勅の三日後になってソ連軍の侵攻にさらされることになった。応戦すれば勅命に反するのではないかという怖れが将兵らにはあったろう。しかし占守島を含む千島列島は、明治八年に結ばれた樺太・千島交換条約によって平和的に定められた日本の領土である。入数は少ないが開拓団の家族が居住し、また日魯漁業の工場労働者などの民間人もいた(本書には日魯漁業の缶詰工場で働く約四百名の女子挺身隊の少女たちが出てくるが、これは史実のとおりである)。国土と国民を守るのが軍のつとめであり、それを果たすため、占守島と隣島の幌莚島に進出していた第九十一師団は戦闘に踏み切ったのである。
 もうひとつの悲劇は、これが勝つことのありえない戦いだったことだ。
 二万三千の将兵を擁する第九十一師団は、現役兵が中心で練度も高く、寄せ集めの師団が多かった戦争末期においては例外的な精鋭だった。中でも満洲から引き抜かれてきた戦車第十一聯隊は、最新の装備と優秀な兵員を備え、士気も高かった。入千八百のソ連軍上陸部隊を迎え撃った日本、軍は優勢に立つ。しかし、日本はすでに無条件降伏をした敗戦国であり、勝利するまで戦いを続けることは許されなかった。前線に軍使を送って停戦交渉を行った日本軍は八月二十一日に降伏し、二十三日にソ連軍によって武装解除される。そして生き残った将兵はシベリアに送られたのである。
 勝てる力をじゅうぶんに備えながら、決して勝ってはならないー北の果ての国土と国民を守るため、そのような戦闘に生命を賭けたのが、占守島の将兵であった。歴史上、このような矛盾した戦いを強いられた軍隊があったろうか。しかも、この島で起ったことは日本国民にほとんど知られることなく、歴史に埋もれてきたのである。
 戦争というものの理不尽さを凝縮したようなこの島が本書の主たる舞台だが、物語は、占守島から遠く離れた、東京・市ヶ谷の大本営地下壕から始まる。
 作戦課の要望に応じて動員表を作成する役割を担う若い陸軍少佐。沖縄陥落後の昭和二十年六月下旬、彼は陸軍省軍事課の中佐から、今後起案する動員表には、一個師団あたり一名の英語通訳を加えるよう命じられる。近いうちに終戦の聖断が下ることを前提とした、和平のための通訳である。
 選ばれたのは片岡直哉。兵役年限ぎりぎりの四十五歳、東京外国語学校で英語を学んだ翻訳書の編集者である。ソ連が参戦するとは予想していなかった大本営は、和平交渉の相手は当然、アメリカだと考えていた。
 片岡の任務は、本入にも知らされることのない極秘のものだった。兵役未経験の老兵が北の果ての島に赴く不自然さを隠すため、同郷である岩手出身の二名が]緒に送られることになる。三度の応召で計十三年間の軍隊生活を送り、大陸で立てた手柄で金鶏勲章を得た「鬼熊」こと富永軍曹と、岩手医専を卒業し、東京帝大医学部に在籍する秀才、菊池忠彦。この三人を軸に物語は展開していく。
 かれらの共通点は、兵士にもつともふさわしくない人物であることだ。片岡は老兵であるのみならず、徴兵検査では近眼のため丙種合格(実質的な兵役不適格)だった身であり、鬼熊は大陸の戦闘で右手の指を三本失っている。菊池は身長が兵役基準の百五十ニセンチに満たず、軍医としての教育も受けていない。
 大本営で動員表に書かれた数字が、弘前の第八師団司令部、盛岡聯隊区司令部と順繰りに下達され、最終的に地元の在郷軍人名簿の中から選ばれて、村役場の兵事係によってこの三人の自宅に召集令状が届けられるまでを、作者は丁寧に描く。軍中央が定めた抽象的な数字が生身の人間に置き換えられる過程で生まれる、小さな、しかし切実なドラマの数々。それをつぶさに見せられた読者は、親もあれば妻子もあり、それぞれに職業を持つ市井の人々が兵士とされ、戦場に送られたのがあの戦争だったことを、実感をもって知るのである。
 ところで片岡のような兵士ー通訳要員として前線に送られた四十五歳の老兵ーが本当にいた可能性はあるのだろうか。実を言うと、本書を読みはじめたとき、私はかつて取材したある士官のことを思い出してどきりとした。
 戦争末期の激戦地である硫黄島の指揮官であった栗林忠道中将の評伝を書くために話を聞いた硫黄島戦の遺族の中に、四十四歳で召集されて戦死した士官の夫人がいた。この士官は大学卒で、二十代のとき短期現役を経験していたため少尉での応召だったが、戦地に赴くのは初めてだったという。三十歳を超えれば老兵と呼ばれた当時、その年齢で召集されたことにまず驚いた。見せてもらった遺髪に白髪が混じっていたことが忘れられない。
 住友銀行の支店の次長職にあったこの人は、戦前、.入年間にわたってアメリカ勤務を経験し、英語が堪能だった。戦争末期の寄せ集め師団だった硫黄島の第百九師団には年配の兵士が多かったが、それにしても四十四歳は歳をとりすぎている。特別な技能があるわけでもない銀行員がなぜ戦場に引き出されたのか不思議に思っていた。
 夫人によれば、出征してまもなく、夫から英譜の辞書を送ってほしいという手紙が届いたそうだ。夫妻はクリスチャンで、アメリカ入の友人も多かった。夫は応召前、アメリカ勤務が長かったことで親米的と目され、部隊で不当な扱いを受けるのではないかと懸念しており、それが英語の辞書を送れと言ってきたことは意外だったという。彼が硫黄島で配属された部隊は、栗林中将のいる師団司令部に近い場所にあり、頻繁に行き来があった。話を聞いたときは、辞書は捕虜の訊問のためかとも思ったが、本書を読んで、この士官と片岡に重なる部分があまりに多いことに気がつき、まさかという思いがよぎった。
 北の果ての占守島と南の果ての硫黄島は、ともに植民地でも占領地でもない日本固有の領土で、戦争末期に米軍上陸を前提として大量の兵士が送り込まれたという点も同じである。硫黄島に送られた銀行員が、片岡と同様、通訳要員だったかもしれないと考えるのは早計に過ぎるとわかっているが、絶対にありえないとも言えない。片岡という入物の設定には小説的な仕掛けが凝らされているのだろうが、これまで多くの元兵士に話を聞き、また戦死した人が生前に戦地から書き送った手紙を読んできた私にとっては、こういう人が戦場にいても決しておかしくないと思えるリアリティがある。
 作者には、この作品によって、歴史の闇の中になかば隠れつつあった占守島の戦いを現代に伝える意図があったろう。しかしあの浅田次郎が、戦いの経緯を追っただけの小説を書くはずがない。読者の前に展開されるのは、戦争の時代を生きた人々が織りなす壮大な群像劇である。占守島で戦った将兵だけではなく、銃後の母や妻子、民間企業のサラリーマンに教師、挺身隊の女子学生からやくざ者まで、あらゆる職業、階層、立場の日本人が登場する。それぞれが一篇の小説の主人公たり得るリアリティと人生のドラマを背負っており、読み進むうちに、この人たちは本当にいた、いま私たちが生きている同じ場所で、少し前の時代を生きていたのだという確信に似た思いが湧き上がってくる。架空の人物が確かに「実在」するという小説の不思議を、これほど思い知らされる作品はない。
 日本人だけではなく、占守島に侵攻してきたソ連軍将兵の視点をも、この小説は取り込んでいる。そのことが作品のスケールを大きくするとともに、人間の運命が交錯する戦争の本質をあぶり出している。戦争という特殊な状況は、それがなければすれ違うことさえなかったであろう人と人を出会わせ、強い絆で結びつける。その最たるものが戦友であるが、戦場で生命のやりとりをする敵もまた、兵士にとって運命的な邂逅の相手である。
 遠い異国で生まれ育ち、言語さえ通じない者同士が、同じ大地の上で血を流す。自分の死を見届ける者が敵だけであるという状況は、戦地では当たり前のことなのである。
敵兵同士もまた「死」を通して強い絆で結ばれていることを、本書の読者は衝撃的に気づかされるだろう。
 この作品の最初から最後まで、高く低くひびいているのは、あの時代を生きて死んだ人々の声である。私はこれまで、昭和の戦争について学ぶために多くの人に会い、遺書や遺品にもふれてきたが、そうするうちに、死者と知り合うことはできると思うようになった。歴史という名の暗がりにひそみ、普段は沈黙している死者たちだが、いったん回路が開かれれば、私たちの前に姿を現わし、声を聞かせてくれる。その回路たりえる小説は多くないが、本書は確かにそのうちの一冊である。
 本書を読みながら、おびただしい人々の声を私は聞いた。そして幾度も涙した。戦場で、そして極寒のシベリアで、命を落した人びとの死は悲惨なものだったかもしれないが、それはかれらの人生そのものが悲惨だったことを意味しない。人が人である限り、どのような過酷な運命によっても損なわれることのな生命の輝きを持つことができるーそのことが胸にしみ通るようにして伝わってくる、戦争文学の傑作である。
            (かけはし・くみこ ノンフィクション作家) 


◆主要登場人物

片岡直哉二等兵 翻訳書編集者。英語通訳として動員される。
菊池忠彦軍医少尉 岩手医専卒の医師。占守島の軍医となる。
富永熊男軍曹 歴戦の軍曹。四度目の召集で占守島に動員される。
吉江恒三少佐 第五方面軍司令部参謀。終戦処理の任務を負う。
渡辺中尉 第九十一師団副官。札幌出身。
大屋与次郎准尉 戦車第十一聯隊第二中隊段列長。旭川出身。
中村末松伍長 戦車第十一聯隊第二中隊段列の少年兵。東京出身。
岸純四郎上等兵 南方帰りの船舶兵。三陸の宮古出身。
工藤軍医大尉 野戦病院の軍医。菊池の岩手医専での先輩にあたる。
森本健一 日魯漁業社員。占守・幌筵島の漁場と缶詰工場の責任者。
石橋キク 缶詰工場で働く女子挺身隊員。函館高女の卒業生総代。
沢田夏子 缶詰工場で働く女子挺身隊員。キクの同級生。
片岡久子 片岡の妻。女子高等師範卒の文学書編集者.
片岡譲 片岡の息子。国民学校四年生。集団疎開先を抜け出す。
吉岡静代 国民学校六年生。譲とともに疎開先から東京を目指す。
岩井萬助 渡世人。懲役に服していたが、召集のため放免される。
佐々木曹長 盛岡聯隊区司令部第三諜動員班長。
蓮見百合子 盛岡聯隊区司令部の庶務係。岩手高女の女学生。

アレクサンドル・ミハイロヴィチ・オルローフ中尉(サーシャ)  ソ連軍の将校。シベリアに住むゴサックの子孫。
ボクダン・ミハイロヴィチ・コスチューク兵長(ボーガ)  ウクライナ出身のソ連兵。


終わらざる夏 下(帯:佐藤亜美菜)

集英社文庫 あ36‐20

著者/訳者

浅田次郎/著

出版社名

集英社

発行年月

2013年06月

サイズ

374P 16cm

販売価格

662円

内容紹介

1945年8月15日、玉音放送後に〈知られざる戦い〉が、美しい北の孤島で始まった――。それぞれの場所で、立場で、未来への希望を求める人々を描く浅田版「戦争と平和」。第64回毎日出版文化賞受賞作。(解説/梯久美子)


内容(「BOOK」データベースより)

1945年8月15日、玉音放送。国民はそれぞれの思いを抱えながら、日本の無条件降伏を知る。国境の島・占守島では、通訳要員である片岡らが、終戦交渉 にやって来るであろう米軍の軍使を待ち受けていた。だが、島に残された日本軍が目にしたのは、中立条約を破棄して上陸してくるソ連軍の姿だった。―美しい 北の孤島で、再び始まった「戦争」の真実とは。戦争文学の新たなる金字塔、堂々の完結。

著者について

浅田 次郎 (あさだ じろう)
1951年東京都出身。1995年『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、1997年『鉄道員』 で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、2006年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞と司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で吉川英治文学 賞を、それぞれ受賞。近刊に『ま、いっか。』『ハッピー・リタイアメント』等。日本ペンクラブ専務理事。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

浅田/次郎
1951年東京都生まれ。95年『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、97年『鉄道員』で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、06年 『お腹召しませ』で中央公論文芸賞と司馬遼太郎賞、08年『中原の虹』で吉川英治文学賞、10年『終わらざる夏』で毎日出版文化賞を、それぞれ受賞

 そのあと、内田百間の『百鬼園随筆』を読んでいたら、「占守」が出てきてびっくり。

遠洋漁業

 子供の時、私の郷里の町に、郡司大尉が講演に来た。市役所の会議所のようなところに、薄暗い幻燈を映して、千島だの、占守だの、コンマンドルスキーにミッドウェー、猟虎(らっこ)に海豹に膃肭獣(おっとせい)などの話をして聞かせた。郡司大尉の声は嗅れていた様である。私はその話を、半分は本当にあった事らしく、半分は私の夢であった様に思うのである。
 その翌日から、私は金谷の寿さんと云う私の乳兄弟と相談して、二人で郡司大尉の真似をする事にきめた。先ず、町の裏の田圃に出て、寒の冷たい風に吹かれながら、川の縁を伝って歩いた。二人は我我の漁場を発見しようとしているのである。石橋の下に薄日が横から射し込んで、水のよどんでいる所に、目高が五六匹かたまって浮いている。目高は寒いからちっとも動かない。或はみんなで集まって、眠っているのかも知れない。,寿さんが番をしている間に、私は急いで家に帰って、大急ぎで台所の女中に網をこしらえて貰った。普通の網の目では、目高が抜けてしまうから、木綿の切れを竹の輪に縫いつけて貰ったのである。それを持って、内緒で家を馳け出した。もし祖母に知られると・こんな寒い日に、田圃中に出ると、風を引くから行ってはならぬ、と叱られるに決まっている。
 寿さんの待っている所に馳けつけて見たら、旦目同はまだ動かずに欝いていた。先ずそこに一網入れて・相当の漁をした。それから、川をあちらこちら漁り廻って、三十匹位目高を捕ってから、家へ帰って来た。
 次に私共は、昨夜の幻灯で見た通りに、獲物の貯蔵法をやらなければならない。倉の隅の空地から、屋根瓦のわれたのを拾って来て、その上に目高を列べた。そうして、それを庇の上に上げて、風で乾かす事にした。
 その日の作業はそれで終ったので、私と寿さんとは、炬燵に這入って、カムチャッカやコンマンドルスキーの地図を描いて遊んだ。
 翌日、庇から瓦の破れを下ろして見ると、目高は乾いたのだか、凍ったのだか知らないけれど、固くなって、小さな目だけが黒く光っていた。少し数が足りない様だけれども、猫ならみんな食ってしまうに違いないから、事によると雀が二三匹持って行ったのかも知れない。

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