きょうこの頃



2013年3月16日(土)

 池上正樹・加藤順子『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』読了。
 中学校の先生だった佐藤さん夫妻が娘の死を知る場面には心動かされた。
 津波がくるまでの51分間。
 なぜ生徒たちを校庭にいさせ続けたのか。自分たちも校庭から動かなかったのか。
 謎である。
 ずっと議論していたという話もある。
 50人乗りのバスもずっと待機していた。
 いち早く一人で逃げ出したA教諭だけが助かり、あとの教職員もバスの運転手も津波で死んだ。
 この震災でこんなに大量の死者を出した学校はほかにない。
 真相はわからないが、加藤順子さんは、当時の柏葉校長の指示ではなかったのかと暗示しているようである。

 最近の加藤さんの記事。http://diamond.jp/category/s-okawasyo


あのとき、大川小学校で何が起きたのか

著者/訳者

池上正樹/文 加藤順子/文・写真

出版社名

青志社

発行年月

2012年11月

サイズ

317P 19cm

販売価格

1,575円

内容紹介

~内容~

3.11の大津波で、全校生徒108人のうち、
実に74人の死亡・行方不明者を生む大惨事の舞台となった
宮城県石巻市立大川小学校。

これまで、ひた隠しにされてきた
「空白の51分」の悲劇が明らかになった。

なぜ、「山さ逃げるべ」という児童の懇願も受け入れず避難が遅れたのか?

なぜ、石巻市教育委員会は児童の聞き取り調査メモを廃棄したのか?

なぜ、真相解明を求める遺族の声は聞き入れられないのか?

膨大な資料開示請求から得た新事実と、
行政・遺族双方への緻密な取材によって再検証する、
渾身のノンフィクション! 


――本文より抜粋――

あわてて逃げ惑う70人の子どもたちと10人の教師が、
大津波の犠牲となった。
4人の子どもはいまもなお行方不明である。

かろうじて生還できたのは、
1年生女子、3年生男子各1人と、
5年生の男子2人の計4人の子どもたちと、
1人の男性教師だけ。

校舎の時計の針は、
午後3時37分で止まっていた。

避難を開始したのは
津波到達のわずか1分前。

つまり、児童たちは
50分間も校庭にとどまっていたことになる。

そして、避難し始めた1分後には黒い津波が襲った。

ここに、大川小の大惨事を引き起こした
「空白の51分」が発生したのである。

内容(「BOOK」データベースより)

なぜ、「山さ逃げるべ」という児童の懇願も受け入れず避難が遅れたのか?なぜ、石巻市教育委員会は児童の聞き取り調査メモを廃棄したのか?なぜ、真相解明を求める遺族の声は聞き入れられないのか?膨大な資料開示請求から得た新事実と、行政・遺族双方への綿密な取材によって再検証する、渾身のノンフィクション。

登録情報

  • 単行本(ソフトカバー): 320ページ
  • 出版社: 青志社 (2012/10/24)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 4905042577
  • ISBN-13: 978-4905042570
  • 発売日: 2012/10/24

目次

プロローグ 「子どもたちは、見えない魔物に殺された」
釜谷地区と大川小学校?かつて、そこにあった風景
悲劇はどのように伝えられてきたのか
開示された聞き取り調査
「避難途中に大津波」は嘘だった?
ひた隠しにされた被災状況に関する公文書の「嘘」
「校長のひと言」から生じた「人災」疑惑
破棄された聞き取り「証言メモ」
石巻市教育委員会の混乱と逡巡
元指導主事の「証言メモを捨てた理由」
実態を把握していなかった文部科学省
やっと1年5か月後に実現した文部科学大臣視察
現場検証でもうやむやにされた「51分間」
大川小学校大惨事の目撃者たち
子どもの死の意味を問い続ける遺族たち「命の言葉」
生存児童の証言?てっちゃんとおっとうの覚悟
「空白の51分」を再検証する
大川小学校のこれから?いま、ここにある風景
エピローグ「子どもたちに、ひと目会いたかった」





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