きょうこの頃



2013年1月4日(金)

 三木卓『K』読了。
 自分をさらすという行為は、大変なものだなぁと思う。
 日本独特の私小説というジャンルは自分自身をすり減らす作業である。
 
 72歳で末期の大腸癌で死去した女流詩人。
 病院は湘南鎌倉病院のようだ。

 結婚した当時の貧乏生活。
 三木卓は半身不全麻痺。
 三木卓が小説家になってからは別居生活が続く。

 結婚してから問わず語りにKのいったことのなかに、一年ほど前、十二指腸潰瘍をわずらって故郷へ帰り、会社を休職していた、ということがあった。十二指腸潰瘍は、精神的ストレスから来るものである。また一九五〇年代のなかばごろから、向精神薬が市販を許された時期があり、バランスとかコントールといった薬は簡単に手にできたが、クロルプロマジンも発売されていた。しかしKが、実際に飲んでいるのを見た記憶はない。詩中に〈彼女〉とあるのはK自身ととっていいと思う。
 いずれにしても、彼女が洗面器とともにぼくの部屋に闖入して来たのは、わけがあった。同棲するや否や会社をやめてしまったのは、当然のことだったのだ。溺れるものは藁をもつかむ。ぼくは貧弱な藁だったのである。
 結婚について、Kはこう書いている。


 人 よ

 わたしは去り 去った
 迷いねこだった
 詩人と結婚した
 ガスのことで家主とけんかした
 斧のようなおなかになった
 雨降りに赤ん坊を生んだ
(p.60-61)

 今、その時の場面を思い出してのぼくの感想は、ぼくは、Kがあまりにひどい仕打ちをうけることを目の前にしたので、ぼくはそこから逃げ出して解放されようとした、ということだと思っている。入は、本当にきつい心の状態のときには、泣くことなど出来ないはずだ。ぼくはやっとその地獄のような場から逃がれて来て、ビールやハンバーグと出会うことが出来たので、心の解放が出来た。それはKのための時間ではなく、ぼく自身のための時間だったのだ。
 その夜のことは、忘れることが出来ない。 

(p.190-191)

 ぼくは医師たちが熟練していることに、治療の安定を感じた。もしかしたら、かれらの人生は「ガンマナイフ」とともにすごす人生になるのかもしれない、と、ふと思った。今の医師の仕事とはそういうものかもしれない。心臓のバイパス手術を身につけたものはその治療が時代遅れになるまで最大限働き、その一医療史の場面が、その医師の人生となる。そして若い新しい医師群が、新しい治療法とともに出現してくる。それはたとえば飛行機の、B747ジャンボを一生運転していくことになる操縦士のようなものなのかもしれなかった。
(201p.)

著者/訳者

三木卓/著

出版社名

講談社 

発行年月

2012年05月

サイズ

226P 20cm

販売価格

1,575円

本の内容

円満とはいえなかった夫婦生活を、優しさとユーモアに溢れた眼差しで振り返るとき、そこにはかけがえのない「愛」と呼べるものがあった?。逝ってしまった妻・Kへの想い。半世紀に及ぶある夫婦の物語。

ISBN

978-4-06-217670-5

著者情報

三木 卓
1935年生まれ。静岡県出身。幼少期を満州で過ごす。早稲田大学文学部ロシア文学科卒。67年、詩集『東京午前三時』でH氏賞、73年「鶸」で芥川賞、86年『馭者の秋』で平林たい子賞、89年『小噺集』で芸術選奨文部大臣賞、97年『路地』で谷崎潤一郎賞、2000年『裸足と貝殻』で読売文学賞、06年『北原白秋』で毎日芸術賞ほか受賞。07年日本芸術院賞恩賜賞受賞。ほかに84年『ぽたぽた』で野間児童文芸賞を受賞するなど、詩、小説、児童文学など幅広い分野で活躍している 





content2013