きょうこの頃



2012年12月15日(土)

 11月はほとんどの休みが潰されて、落ち着いた時間がまったくなく、勉学も読書もできなかった。
 きょうは久しぶりに読書。
 三島由紀夫『宴のあと』読了。
 一気に読んでしまった。
 出版された当時はモデルがあって裁判にまでなりスキャンダラスだったらしいが、いまは忘れられている?
 このあと、三島は裁判というものを信じなくなったという。
 じつに裁判官というものは信じられない輩である。
 昭和44年6月に書かれた、この文庫本の解説は「評論家」西尾幹二大先生である。

 かづは人から色事の相談をもちかけられると、てきぱきと巧い指示を与えた。人間心理は数十の抽斗にきちんと分類され、どんな難問にもいくつかの情念の組み合せだけで答が出た。
人生にそれ以上複雑なことは何もなかった。それは限られた数の定石から成立ち、彼女は隠退した名棋士で、誰にも的確な忠言を与えることのできる立場にいた。だから当然「時代」
を軽蔑していた。いくら新らしがったところで、人が昔からの情熱の法則の例外に立つことができようか〜
「このごろの若い人のやっていることは」とかつはよく言うのだった。「衣裳がちがうだけで、中味はちっとも昔とかわっていやしませんよ。若い人は自分にとってはじめての経験を世間様にもはじめての経験だととりちがえる。どんな無軌道だって昔とおなじで、ただ世間のやかましい目が昔ほどじゃないから、無軌道も大がかりになって、ますます入目につくことをしなくちゃならなくなるんです」
(9-10p.)

 いずれにせよ野口がこの結婚を終の栖と思っていることは明白で、かづも亦、自分の墓を見つけた気になったことは、前にも述べたとおりである。しかし人間は墓の中に住むことはできない。
(87-88p.)

宴のあと

改版  新潮文庫 み‐3‐16

著者/訳者

三島由紀夫/著

出版社名

新潮社 

発行年月

2011年11月

サイズ

265P 16cm

販売価格

515円





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