きょうこの頃



2012年8月26日(日)

 上野千鶴子『上野千鶴子が文学を社会学する』読了。

 ブログ参照

 佐江衆一さんの『黄落』「新潮社、1995〕はそういう小説のひとつである。六十代の初老の夫婦が九十代の老父と八十代の老母を介護するこの作品 は、「老親老後(老いた親を抱えた自.分自身の老後こを描いて刊行後二十万部を突破する話題作となり、その年度の第五回ドゥマゴ文学賞を受賞した..
  もちろんそれに先だって介護の現場から、さまざまな手記やルポルタージュが報告されていた。だがほとんど女性の手になる体験記のたぐいは、「わたしはこう やって老親を看取った」というケース報翫口であった。家庭背鼠や介護の実状の違いから、多くの読者が身につまされて読んでも、「あなたの場合にはそうでも わたしの場合には……」と 一般性を獲得することが難しい.『黄落』の新しさは、男性の視点から介護を描いたこと、そしてその体験を文学という表現に載せ たことである。
  ひるがえって考えれば、今までなぜ女性作家の介護小説がなかったのか、そして女性 の手になるノンフィクションが、『黄落』ほ どの話題性を呼んだことがなかったのか、と問いを立ててみることもできる.。この問いに対しては、日本の女性作家は作家であることそのことですでに「非慣 習的」な生き方を選んできており、「長男の嫁」として介護体験をするような位置に自分を置かなかったという選択があるだろう。そのうえ、女性作家は「職業 婦人」の一種であり、親の介護がかかってきた場合でも、経済的に解決するゆとりと合理性を持っていたことだろう。しかもそうでもしなければ自分の職業生活 がたちゆかないのだから、二十四時間態勢の介護を引き受けることができないのは、多くの「働く女性」と事情は同じである。それだけではない。介護体験が あったにしても、それを作品にすることにはためらいがあったかもしれない。なぜなら育児や介護は女性にとってあまりにもあたりまえの経験と考えられてお り、それが文学の主題になるとは思われていないこと、それに表現はつねになにがしかの粉飾や自己正当化を含むものだが、書き手としてそれをしたくないとい う禁欲もあるだろう。そういえば不思議なことに、女性作家の手になる「出産・育児小説」というものもめったに見ない。八○年代以降、実力のある若手の女性 作家がどんどん登場したが、彼女たちの多くは、結婚していないか、していても子どもを産んでいない。その彼女たちが介護の現実に直面するのはまだまだ先の ことである。
 もし自分の感情を粉飾無しに表現すれば、「死んでもらいたい」「いっそ、殺したい」といったエゴイズムの闇に向き合わざるをえず、 血縁のなかではそうした否定的な感情に対するタブーがつよく働いてきた。性という男女の争闘の場は、女性の書き手によって、文学の主題として好んでとりあ げられてきたが、「しょせん他人」相手には許される「殺したいほどの愛憎」も、血縁のしかも弱者に対して向けられることには、抑制がかかってきたようだ。 体験がなかったわけではない。体験に対して適切な表現を与えることが許されなかったのだ。それは体験そのものが否認されることと同じだ。親に対する「殺し たい」ほどの憎悪がようやく「市民権」を与えられたのは、AC(アダルト・チルドレン)という概念の登場以降のことである。
 多くの介護体験記が 「わたしはこんなによくやった」という「癒し」の目的で書かれており、そして「癒し」は表現の重要な機能のひとつではあるのだが、問題は「癒し」の深さの 度合いだろう。読者はそれに対して「ほんとにあなたはよくやったわね」と応じるほかない事情にくらべれば、『黄落』は書き手の男としてのずるさやエゴイズ ム、老いと死をめぐる人間の闇を抑制した筆致で描き出した点で、私小説として水準を超えた普遍性を獲得している。「介護の地獄なんてこんなもんじゃないわ よ」という、作者よりもつとすさまじい体験をした人もいるかもしれないが、個人的な体験が読者の共感を呼ぶのは表現の力というものであろう。その点では男 の私生活における破綻を戯画的・偽悪的に描くという口本の「私小説」の伝統が、うまく生きた例かもしれない。
 それとともに、もしこれが女性作家 の手によって書かれた作品だとしたら……これほどの話題性を呼んだだろうか、という問いを、わたしは抑えることができない。おそらくは多くの男性評者の関 心を惹かず、共感も呼ばなかったであろう。その背後には、女にとっては当然視される介護に、男といえども手を出さざるをえなくなった介護の現場の現実があ る。ひとつには経済的にゆとりがあればとりえただろう人手を頼むというオプションがこの場合口にはなかったこと、もうひとつには在宅介護の現実を救うほど には公的介護サービスがじゅうぶんでないという福祉の貧困がある。親を見捨てたくはないが、自助にも限界がある、という状況は、なまじな自助能力があるた めにかえって「福祉の谷間」に落ちこんでいる大半の中流家庭の現実だ。『黄落』がこれほどの共感を呼んだのも、「書いても書いても中流階級」という物書き のふところ具合を反映してもいる。もうお手伝いさんや家政婦さんをおいて懐手をしていられるような「文豪」は、どこにもいなくなつたからだ。

2 『恍惚の人qと『黄落』のあいだ
 佐江衆三さんの『黄落』はすぐれた作品だが、老人介護文学の誕生というには、それに先立つ二十三年前、有吉佐和子さんの『恍惚の人』[新潮社、1972]を忘れるわけにいかない。『黄落』は二十万部、『恍惚の人』は二百万部を超えた。

(66-69頁)

 わたし自身も女性の自己実現を「生産を通じての自己実現」と「消費を通じての自己実現」とのふたつに分けて論じたことがある。八五年の男女雇用機会均等法をきっかけに、「生.産を通じての白己実現」をオプションに選ぶ女たちも登場した。近代的なシステムのもとでは生産も消費も疎外ならば(「生塵への疎外」と「消費への疎外」)、そのどちらのオプションをも拒否して、第三の方向へ向かった女性たちもいた。
 もちろん、そのなかで「消費を通じての白己実現」を選んだHanakO族のような女たちがマジョリティであると、大塚はなおも言いつのることができる。そして、わたしもその観察に同意する。「消費を通じての自己実現」という概念は、外国人に説明しようとすると理解されにくいが、たとえば精神科医の大平健が『豊かさの精神病理』[岩波.新書、1990]で描くような「ブランド病患者上の女性を思いおこせばよい。彼女は、ブランド・ファッションに異様な熱意を示すが、それこそが彼女にとっては自己実現の道だからである。仮に「生産を通じての自己実現」を選ぼうとしても、あまりにコスト・パフォーマンスの悪すぎる女性にとっては、「消費を通じての自己実現」は、限られたオプションのなかでの「合理的」な選択であったと言える。そしてバブルの時代は、男もまた「生産財」としてより「消費財」としての価値を高めることで、逆説的に性差が縮まる時代でもあった。
 だが、この動きに対するフェミニズムの関係は、単純ではない。たとえば、フェミニズムは、必ずしも男なみの「生産を通じての白己実現」を支持したわけではない。八五年の均等法の成立は、日本のフェミニズムにとっては「勝利」ではなく、「敗北」であった。それは、タテマエだけの「機会均等」を唱えることで、男なみの競争原理と効率主義を女性に内而化させるためのしかけであった。
 フェミニズムはしばしば、「男なみになりたい女たちの平等要求」と誤解されるが、実はそうではない。フェミニズムには、口本語で「女権拡張論」と「女性解放思想」のふたつの訳語があるが、わたしは前者を採用しない。この誤解のおかげで、フェミニズムは、男たちから「あ、そう。キミたち男みたいになりたいのね」とからかわれ、逆に「男のようになんかなりたくない」女たちからは、魅力的なオプションには見えないという二重のデイレンマに陥る。
 だが近代批判として始まった第二波フェミニズムは、最初から侵略と破壊の産業社会を支持しなかつたし、それに加抱しようともしなかった。とりわけ長時間労働の「社畜」(佐高信)と化した、H本の男性の生き方は女性にとって少しも魅力的に見えない。

(190-191頁)

 その時、女にはふたつのオプションがあった。「藤純子」を演ずるか、「ゲバルト・ローザ」になるか、言い換えれば、男に尽くし愛される「かわいい女」になるか、それとも男の価値を内面化して男なみの女になるか。新左翼の多くの女は、この両極に引き裂かれた。男に愛されようとすれば、「戦力」にならない「女らしさ」のなかに甘んじなければならず、男なみの能力を発揮しようとすれば「男まさりの女」として、男から愛されることを断念しなければならない。そしてどちらも「男につこうのよい女」という意味では、大塚の言うとおり、「かわいい女」ではあつたのだ。カリカチュアライズすれば、連合赤軍の「総括」とは、「ゲバルト・ローザ」による「藤純子」の殺害であった。そして女を二種類に分けることで対立させ、分断支配することこそ、男性支配の定石ではなかったか。
5 「永田洋子はあたしだ」
新左翼の女のカリカチュアを嗤う九〇年代の女もまた、自分のあしもとを見ればこの構図が過去のものになってはいないことに、直ちに気がつくだろう。八五年の男女雇用機会均等法がもたらした、「男なみ平等」の幻想のなかで、「総合職」女性と「一般職」女性とのあいだの分断と対立、あるいはキャリアウーマンと専業主婦の対立は、うんざりするほど陳腐なものである。そしてそのどちらも、「男に認められたい女たち」である点で、男権社会の「代行者」たちにほかならない。その上、もはや、「初めての女性○○」、男社会に参入した「名誉男性」としてのエリート女の時代を過ぎた今日では、総合職女性は一方では男なみに「できる女」、他方では女なみに「気配り」もこなすスーパーウーマンであることが要求される。「女らしさ」と「実力」が両立可能になった「均等法」の時代に、女の負担はかえって増え、女は両極に引き裂かれている。
 リブの鬪士、田中美津は、「永田洋子はあたしだ」と宣言する。「永田洋子はあたしだ」という、この誤解をまねきやすい言い方で、あいかわらず逆説的に田中が意味するのは、「男に尻尾をふる女」と「ふらない女」とのあいだが、「紙一重」の違いであるという事実である。そこには、すべての女は永田洋子になる可能性を持っているという、女自身の加害性に対する想像力がある。
「しかし、彼女は身重の女を殺し、あたしはリブに出会ったー。彼女とあたしの分かれ道は、どこにあったのだろうか。」[田中前掲書]
(200-201頁)

 日本には昔から漂泊者の系譜がある。人生に失敗しても、出家の伝統がある。「世に出る」ことが出世なら、「世を出る」方法だってあってもよい。漂泊といい、出家といい、いったん俗世を捨てた人を、俗世の義理や負債は追いかけてこない(ことになっている)。罪を犯しても頭を丸めれば、浮き世の法は罪一等を減じてくれる。ただしそれは身を捨て、世を捨てる決意と引き替えだ。
 現実の僧侶が俗臭ふんぷんであることは、ここでは間うまい。出家がただの隠れ蓑になつていることにも同をつむろう。法皇による院政や尼将軍による将軍家支配など、権力のたてまえとほんねを使い分ける装置としても、「世を出る」靴掛けは利用されてきた。記憶に新しいところでは、セクハラ疑惑事件を起こした京大教授が職を辞して寺に入り慢間をあっと言わせた。なるほどこんな「伝統」の使い方もあるのか、と感心したものだ。
 世を捨てれば負債は追いかけてこないとなれば、白殺せずにすんだ人々もいることだろう。債権・債務は俗世の取り決め。僧形になれば通用しない。考えてみれば、うまくできた文化の装置である。「個人」という資任主体の概念で、人をとことん追いつめないやさしさがある。一生に、二生も三生も生きるための仕掛けが日本にはいくつもある。
改名や雅号、法名や俳号を名乗るというのも、変身と転身の仕掛けである。日本の人々は、アイデンティティ(自我同一性)などというものに呪縛されてこなかった。
 世を捨てた者は、一所不住の漂泊者となる。三カ所にいたとしても、それはいつでも仮の住まい。定住し、共同体の一貝となり、家族をつくり、財と名をなすことを断念した人が出家者である。だからこそ、共同体はその権利と義務から、彼(女)を解放してくれる。
 短詩型文学は、漂泊者にふさわしい。世を捨てた人が、それでも身を捨てきれず溜め息のようにもれ落ちる最短の白己表現のことば。感慨に立ち止まっても、しばしの後に足早に立ち去る現場には、短歌や俳句が似つかわしい。なかでも俳句は最短詩型として、旅人の吐息に似ている。
 もともと俳諧の連歌から発句を独立させて「俳句」というジャンルを打ち立てた俳聖、松尾芭蕉そのひとが、漂泊の俳人であった。十七文字より長い三十一文字の短歌にも、有名な漂泊の歌人、西行がいる。だが、短歌より俳句のほうが、世捨て人にふさわしく感じられるのは、俳句が詠嘆をゆるさない詩型だからであろう。五七五のあとに七七がオチとしてつくことによって、短歌は白己完結してしまう。西行の有名な辞世の歌、「ねがはくば花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月のころ」も、読みようによってはいい気なナルシシズムの歌と聞こえる。.取り合わせの通俗といい、甘ったれた俗っけたっぷりの歌ではないか。もちろん、だからこそかえって、短歌はうたの調べに感傷を載せることで、長く国民歌謡の地位を占めることができた。短歌に俵万智はいても、俳句の俵万智を想像することはむずかしい。
(231-233頁)

 『ウランと白鳥』[短歌研究社、1998]は苦い歌集だ。誰もがこの不協利なとり合わせに驚き、そして歌人が青森県六ヶ所村の、原子力燃料上場を訪れたと知って困惑する。
ましてや「あとがき」で、それが日本の原子力行政の「戦犯」、東京電力の乎びきであったと知って、困惑はますます深まる。歌会始の御用歌人の体制内化はここまで極まったかと、とる人もいるかもしれない。
 だが歌人はPC(politically Correct)的な正しさを寄せつけず、だからと言って開き直ることもしない。電力を離れて}日たりとも生活したことのない者が、無謬の批判者になぞなりえない。「おまえたちのなかで汚れのない者だけがこの女を有もて撃つがよい。人類智の墓場に飛来する白鳥は、ウランと対比されているのではなく、その土地が背負ったよごれにまみれている。
(244頁)

「阪神大震災後の荒廃の中で生じたレイプや性的ハラスメントの一切をないことにした」ある女性ライターの「思いこみと誤認に満ちた作文」が、九七年度の「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」なるものを受賞したことをもって、「日本のジャーナリズムなるものの水準と、そこで要求される情報の質も明らかになった」と、斎藤さんは言う。「この女性の厚顔を支えているのは、何の権限、何の御利益なのだろう」と怒りを向けるかれは、本文中に「ある女性ライター」の名前に三言及していない。そのことは、かえって、かれの怒りの深さをものがたる。そのライターとは「被災地神戸『レイプ多発』伝説の作られ方」[『諸君!』、1996・8]を書いた与那原恵という女性であり、同じ記事はのちに『物語の海、揺れる島』[小学館、1997]に収録されている。今ではノンフィクション・ライターとしてマスメディアのなかで地歩を確立したらしいこの女性の書いた文章を読んで、わたしは不快さをおさえられなかったことを思いだしたが、斎藤さんの怒りに触れて、わたし自身の怒りが足りなかったことを恥じた。「フェミニズムが反動の嵐を受けながらも、現代の女性たちが安心して"保守化"できるほどの成果を上げた」と指摘する斎藤さんは、こういう男メディア御用達の女性ライターの登場も見据えている。
(280頁)

上野千鶴子が文学を社会学する

朝日文庫

著者/訳者

上野千鶴子/著

出版社名

朝日新聞出版

発行年月

2003年11月

サイズ

295P 15cm

販売価格

630円

本の内容

あの『男流文学論』で文壇に賛否両論の渦を巻き起こし た著者が、再び文学に目を向けた文芸評論集。明治期からの文体の変遷をたどる「ことば」の章、『恍惚の人』と『黄落』から、老人介護文学の中の性差を追究 した「おい」の章など、『男流文学論』のその後も加えた、刺激的な文学論。

目次

ことば(平成言文一致体とジェンダー)
おい(老人介護文学の誕生)
おんな(女装した家父長制?「日本の母」の崩壊
江藤淳の戦後 ほか)
うた(うたの悼み?『斎藤慎爾全句集』に寄せて
うたの極北?俳人尾崎放哉 ほか)
こころ(癒し手とは誰か?『霜山徳爾著作集』に寄せて
ベッドの中の戦場?河野貴代美『性幻想』          ほか)

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   1992年に刊行された、著者と小倉千加子、富岡多惠子との鼎談(ていだん)『男流文学論』は、男性作家の作品が内包する性差別を暴きだし、文壇に賛否両論の渦を巻き起こした。本書は、明治期からの文体の変遷をジェンダーという視点からたどる「ことば」の章、有吉佐和子『恍惚の人』と佐江衆一『黄落』の 2の老人介護をテーマとした作品から「介護をめぐるジェンダー規範」をあぶり出す「おい」の章、そして、『男流文学論』での発言を深化させ、江藤淳の『成 熟と喪失』を軸に整理した「おんな」の章など、フェミニズムの旗手といわれる著者が再び文学に目を向けた評論集である。

   印象深いところは、 尾崎放哉の俳句に「表現に見離され、失語に陥りかけていた」ところを救われたと吐露し、また、歌人岡井隆の「男歌」に魅了されたと語る「うた」の章におい て、社会学者やフェミニストという立場を越えた、「文学」あるいは「言葉」と対峙する個人としての著者が立ちあらわれている点である。作家作品主義に阻ま れた既存の文学評論や、男性中心社会を敵視する旧来のフェミニズム批評からも飛翔した本書は、『成熟と喪失』が著者の言うように「同時代の文学を論じて時 代と社会の深みにとどく文明批評」であるのと同じ意味で、優れた文芸時評として成立している。

 『男流文学論』は、著者が語るように「フェミニズム批評が『文壇』という池に投げた石」であった。本書はひとりの人間として上野千鶴子が文壇に投じた一石である。(中島正敏) --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。

内容(「BOOK」データベースより)

あの『男流文学論』で文壇に賛否両論の渦を巻き起こした著者が、再び文学に目を向けた文芸評論集。明治期からの文体の変遷をたどる「ことば」の章、『恍惚 の人』と『黄落』から、老人介護文学の中の性差を追究した「おい」の章など、『男流文学論』のその後も加えた、刺激的な文学論。

内容(「MARC」データベースより)

「社会学者」という言説生産者の存在理由は、どんなフィールドにも降りたち、使える道具ならどんな道具をも使ってブリコラージュ(器用仕事)をすること-。「女ことば」から「老人介護文学」まで、あまりに社会学的な文学論。 --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

上野/千鶴子
1948年富山県生まれ。京都大学大学院社会学博士課程修了。東京大学大学院人文社会学研究科教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)




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